貧しい母子家庭で育ち、中耳炎の影響で中学2年時に右耳の聴力をほぼ失ったコロッケさん。それでも、母姉譲りの性格のおかげで、その後の芸風の原点を築いていきます。(全4回中の2回)

小学2年生で中耳炎になって

コロッケ
ステージにて。サービス精神旺盛なコロッケさん

── コロッケさんは2009年に右耳が難聴でほとんど聞こえていないことを公表されました。ものまね芸人としての活躍する姿を知っている世代からすると驚きでした。

 

コロッケさん:小学2年生のとき、中耳炎になったんですよ。でもうちは母子家庭でしたから、母親にあまり負担をかけたくなくて病院には行かなかったんです。そのまま放っておいたら中学2年のときに耳に激痛が走り、真珠腫性中耳炎と診断されて手術を受けることに。結果、右耳の聴力を失うことになりました。

 

── 真珠腫性中耳炎は耳の中の膿が腫れ真珠のようになる病気です。手術後、右耳はまったく聞こえない状態に?

 

コロッケさん:まったく聞こえないとまでは言いませんが、水の中に入っている状態で音を聞いているような具合です。膜を隔てているというか。ただ、そのことによって僕自身の想像力がものすごく開花したので、世間の皆さんが思うほど落ち込んだわけでもなかったんですよ。「左が聞こえるからいいじゃん」くらいに、わりとすぐに思えるようになりました。右耳がほとんど聞こえないから、左耳を塞ぐと目の前で話している相手が何を言っているのかわからないんですね。でも僕は昔から想像することが大好きだったから、「こんなことを言っているのかな?」と頭の中で考えるのがむしろ楽しかった。

 

普通は「耳で聞く、目で見る」ですよね。でも僕はそこが逆で「耳で見る、目で聞く」なんです。目で見たものから音や声を想像する。この人の年齢はいくつくらいなのかな、どんな性格なのかな、と想像をどんどん膨らませていく。それがものまね芸人としての芸風に繋がった部分は大きいですね。

 

── コロッケさんの芸が目で見ても楽しめるのは、難聴をきっかけにより鍛えられた想像力と観察力が大きいのですね。

 

コロッケさん:僕は母譲りで異常にポジティブな人間なんですよ。捻挫をしても、骨折じゃなくてよかったと考える。自分の気持ち次第で変えられることは、すべてポジティブに考えるクセが昔から染みついているのだと思います。「どうして自分ばかりが」「なんで私はこうなんだ」という発想に浸ってしまうと、人間ってそこで立ち止まってしまうんですよね。自分という殻の中にスポッと入り込んで閉じてしまう。でもその状態がずっと続くと気持ちってどんどん落ちていきますから、やっぱりどこかで現実を受け止めなくちゃいけない。受け止めて初めて、そこからすべてが始まると僕は思っていますから。

 

── そういったポジティブな性格になったのは、ご家族の影響が強いのでしょうか。

 

コロッケさん:持って生まれた性格もあるかもしれませんが、それ以上に姉と母の影響が大きいかもしれません。うちは母子家庭でしたが、母親は僕ら姉弟につらい顔をいっさい見せずに笑っているような強い人でした。姉はといえば、明るく物怖じしない性格で、ものまねをして周囲を喜ばせる学校の人気者だった。そんな母と姉、それぞれの考え方や性格を間近で見て育ったおかげで、どんなことでもまずは受け止めてみる今の自分が作られていったように思います。