ものまね芸人・坂本冬休みさんは病院や施設のほか、東日本大震災の避難所にもボランティアで訪問する活動を続けてきました。そうした噂が「坂本冬美」さんご本人にも耳に入り──  。(全3回中の2回)

誰も顔を上げなかった体育館で

東日本大震災で宮城にてものまねショー

── 現在、ものまね芸人として活躍する坂本冬休みさんですが、芸人を辞めて児童養護施設で働こうと思った時期があったそうですね。しかし、面接を担当した施設長から「児童養護施設や系列の老人ホームでものまねをやってくれないか?」と頼まれた結果、予想以上の反響が。このことがきっかけで、「自分にもまだできることがあるんじゃないか」と思い、病院や施設などに出向きボランティアでものまねショーをするようになったと聞いています。そんななか、2011年に東日本大震災が起きました。

 

坂本さん:震災が起きて、私にも何かできることはないかと思いました。私は芸人として知名度はないけれど、それでも被災地に行ってやれることはあるはずだって。たまたま、ボランティアで回った老人ホームのスタッフのお母さんが気仙沼にいると聞き、震災から1か月経ったころ、気仙沼の体育館に車で向かいました。

 

── 気仙沼ではどんなことをしましたか?

 

坂本さん:家が流されてしまった方や、家族を失って途方にくれる方。それぞれ大変な状況を抱えた方々の前で、まずは「坂本冬休み」としてものまねショーをはじめました。みんな、正直それどころじゃなかったかもしれないし、すぐに盛り上がることもなかったです。それでもずっとショーを続けていると、はじめは遠くから様子を見ていた方がだんだん近くに寄ってきてくださって「まるで、本物の坂本冬美さんが来てくれたみたいだね」って喜んでいただけたんです。ある方は、海に流されてしまった知人が、冬美さんの『風に立つ』という曲が好きだったとおっしゃって。その方のために『風に立つ』を一緒に歌ってほしいと言われて歌ったことがありましたね。

 

たぶん、私は知名度がないから逆に話しやすいんだと思います。現地の方も本音で話をしてくれましたし、私も、もともと人と交流するのが好きなんです。一緒にダンボールの仕切りのなかに入って話もしたし、スペースがあれば子どもたちと枕投げもしましたね。

 

── 励みになった方は多いかと思います。

 

坂本さん:印象的だったのは女川の体育館に行ったとき。500人くらいの方が全員下を向いているんです。「坂本冬休み」がきたと言っても誰も顔を上げない。今までいろいろ回りましたが、ここまでみんなが下を向いているところはなかったので、さすがにどうしようかと思いました。そこで、ボランティアで老人ホームを回っているときと同じことを、女川でもやったんです。ものまねで使う音楽を止めて、私がしゃがみながらひとりずつ手を握ってゆっくり挨拶していく。すると、顔を上げてくれる人がポツリポツリと出てきて。その後は、みんなで泣きながら『ふるさと』を歌いました。

 

ほかにも、福島の原発区域で作業しているおじさんたちとみんなで一緒にお酒を飲んだし、大きい避難所は著名人が行っていたので、私は手薄になりやすい、人が少ない避難所に積極的に足を運ぶことを意識しました。とにかく自分から動いて縁を作っていこうと。震災が起きた年は、年5回くらい被災地を訪れて、一回につき滞在期間は3日くらい。翌年も年3、4回、翌々年以降も足を運び「また来たよ!」って皆さんに会いに行きました。仮設住宅だった人が家を建てたら遊びに行きましたし、今でも交流は続いています。