もう芸人は辞めるので、と向かった先に
── 芸人以外の仕事を考えたのでしょうか?
坂本さん:千葉の児童養護施設にご縁があって、面接に行ったんです。施設長に履歴書を出すと「あなた、芸人やってるなら、子どもたちの前で何かものまねやってあげてください」と言われ、「もう芸人は辞めるので」「いいからやってみださい」となり、子どもたちの前でクレヨンしんちゃんのものまねをしたんです。はじめはさまざまな事情で施設にいる子たちですし、すぐに笑顔にならなかったけど、何度かやっているうちに徐々に笑ってくれるようになって。私、芸人としてまだ何か役に立てるのかなってちょっと思って。そしたら施設長が何を思ったのか。「あなた、ここで働かなくてもいいから系列の老人ホームに行って、そこでものまねしてくれないか」と。「私、アニメしかできないから。クレヨンしんちゃんとか、サザエさん、頑張って倖田來未さんしかできないから無理です」と言いましたが、いいから行ってみてって。

施設長にうながされて老人ホームに行き、クレヨンしんちゃんのものまねをしてみましたが、案の定ダダスベり。施設の人にも「無料で来ていただいて悪いんですけど、全然ウケないからもっとお客さまのニーズに応えられるもので」と言われる始末。うるさい!って思いましたが、音響機材を持って一緒にきてくれた人が「ここは頑張ってステージに立つべきだよね」と。そこから子どもだけじゃなく、大人の方が好きそうな演歌も頑張ろうと思い、まずは美空ひばりさんのものまねの練習を始めたんです。5000円で赤いドレスを買ってきて。
後日、ぜんぜん出来損ないだけどみなさんの前で『川の流れのように』を歌うことに。歌い終わったら、ひばりさんの口調を真似て「おじいちゃん、元気にしてる?」と、車椅子に乗っているおじいちゃんの手を握ったんです。その方は目が見えない方だったんですけど、私をひばりさんだと思ってくれたのか、7年間硬直していた手が一本ずつ動いて私の手を握り返したんです。
もう、施設の方が泣いてくださって、私もすごい泣きました。そこからですね。演歌をいっぱい練習して、ほかの特別養護施設や精神科病院など、いろいろな場所を100か所、200か所と回って、ものまねショーをしに行きました。おじいちゃんと一緒に肩を組んで歌を歌ったり。私が元気を与えたというより、私のほうがものまねによって周りの方々に救われた感じでした。
── すべてボランティアで行かれていたんですよね。
坂本さん:遠くは滅多に行けませんでしたが、人生を立て直そうと思って回っていたのでギャラはもらいませんでした。「1000円すらもらわないの?」と聞かれることはありましたが、私、加藤めぐみ(本名)にしかできないことだからって。ボランティアは「来てください」じゃなくて、こちらから頭を下げて「行かせてください」ってお願いして行ったんです。各所を回るうちに演歌のレパートリーが増えていきましたが、なかでも特に反響が大きかったのが坂本冬美さんのものまねでした。私自身、大好きな方でしたので、これを機に今まで本名の「加藤めぐみ」で仕事をしていましたが、「坂本冬休み」に変えて、活動していくことになりました。
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「坂本冬休み」として病院や施設にてボランティアを続けて数年。2011年に起きた東日本大震災の後は、被災地にもボランティアとして足を運んできました。そうした活動がご本人の耳にも入り、「坂本冬休み」として活動をして5年経ったとき、「坂本冬美」さんご本人とも念願の対面を果たせたそうです。
PROFILE 坂本冬休みさん
さかもと・ふゆやすみ。1971年生まれ、千葉県出身。坂本冬美さん公認のものまねタレントとして、各イベント、ホテルディナーショー、企業様周年祝い、お祭り、交通安全イベントなど全国各地で大活躍中。
取材・文/松永怜 写真提供/坂本冬休み