歌手・坂本冬美さんのものまね芸人として活動する坂本冬休みさん。下積み時代のあまりにつらい経験から、就職を考えて面接に向かった先で、人生が予想外の方向に進み出したそうです。(全3回中の1回) 

「おめえ、なんか面白いことやってみろよ!」と胸ぐらをつかまれて

坂本冬休み
坂本冬美さんのものまねで熱唱する坂本冬休みさん

── 「坂本冬休み」の芸名でものまねタレントとして活躍する坂本さん。坂本さんは高校卒業後、結婚式場でプランナーや司会をしていましたが、多忙とストレスで体調を崩して退職することに。その後4、5年は療養しながらときどきスポットでフリーの司会の仕事をする生活をされていたそうですね。それがなぜ、2004年にテレビ番組のものまねのオーディションを受けようと思ったのでしょうか?

 

坂本さん:しばらく体調を崩していましたが、ふと気づけば30歳手前。体調が少し改善してきたときに、これからどうしようかと考えていたら、ものまねオーディションがあると知ったんです。もともと子どものころからものまねをして友達を笑わすのも好きでしたし、人前にでることも得意な方。自分でも何かチャレンジしてみたいと思ったので、まったくの未経験ながらチャレンジしてみました。

 

── 未経験ながらも、オーディションには見事合格。そこからものまね芸人としての道を歩むことになりますが、活動は順調でしたか?

 

坂本さん:いやいや、全然。素人がたまたまオーディションに出て受かった感じなので、しばらくはフリーで結婚式の司会を続けながら、ショーパブなどでものまねショーで食いつないでいく感じでした。ショーパブは、はじめは5人セットで呼ばれてギャラはひとり5000円だったんですが、回数をだんだん重ねるうちに「加藤さん(本名)、おもしろいから今度はひとりで来てよ」と。口コミで、地元のお祭りにも呼んでいただけるようになり、ありとあらゆる場所に行きました。たぶん、ものまね芸人の中では1、2を争うくらい下積み本数は多いと思います。

 

── なかには、ハードな現場もありましたか?

 

坂本さん:覚えているのは、スナックのママの誕生日のとき。本来、私の先輩が当日ものまねショーをする予定でしたが、先輩の都合が悪くなってしまい、私が急遽、ショーをすることになったんです。初めての場でどうにか盛り上げようとショーをしていると、突然パンチパーマでいかにも強面なお兄さんがやってきて、私の胸ぐらをグイッと掴むと「おめえ、なんか面白いことやってみろよ!」って。もう、背中に冷や汗かいて真っ青に…。でも、目の前には満席のお客さんがいるし、私がここで怯んだらママにも先輩にも顔が立たない。そこで、苦肉の策としてやったのが「おめえ、なんか面白いことやってみろよ!」って、パンチパーマのお兄さんの口調をマネしたんですよ。そしたら「おめえ、このやろう、おもしろいな!」となって会場がワッと湧いて、大盛り上がりしたことがありました。

 

── 聞いているだけでドキドキしそうです(笑)。

 

坂本さん:ただ、そうやって現場の仕事が少しずつ増えても、やっぱり知名度がないと厳しい世界でした。当時は今以上にテレビに出ていることがステータスでしたし、お店でショーをするにも知名度がある人は「あの、テレビに出ているタレントがやってくる!」といった感じで迎えられますが、私はほぼテレビに出ておらず、口コミだけ呼ばれたタチ。3人呼ばれたとしても私だけテレビに出ていないと「(テレビに出てないけど)ショー、大丈夫ですか?」って言われることはしょっちゅうでした。

 

悔しいからテレビに出てる2人より盛り上げようとしてきましたが、やっぱりどこに行っても「出てない」って毎回言われると傷つきましたね。これといった大きな仕事はなかったし、生活が常に苦しい状態。強烈だったのは、あるとき、スナックで楽屋がなかったので、螺旋階段の途中で着替えをしていたら突然、雨が降ってきたんですよ。「あぁ、雨かぁ」と空を見るも、降ってなくて、パッと上を見たら酔っ払った男性がトイレと間違えたのか、立って…!その雨に打たれてる私。さすがに「シンドイ!」と思って、ものまねを1回辞めようと思いました。