自分の決めた仕事に手応えを感じる瞬間は人それぞれ。イチローさんのものまね芸で人気のニッチローさんは、意外なところでそれを実感します。舞台はアメリカ入国ゲート。無表情な審査官。さて、そこから審査官は言うのです── 。(全3回中の2回)
ユニフォーム姿でアメリカへ向けて出国したら
── イチローさんのものまねで知られるニッチローさん。芸人としてのスタートは順調でしたか?

ニッチローさん:当初は仕事がありませんでした。しかも僕が芸人に転向したのは2011年の3月で、ちょうど東日本大震災と重なったタイミングでもあって。パフォーマンスをしたくても、世の中それどころではない状況です。仕事はない、でも、時間はある。じゃあシアトルに行こうと考えて、お金がないのでリボ払いで航空券を買いました。いまより円高だったので、経済的には何とかなった感じです。
近くでイチローさんを見てみたい、試合を見てみたい。勉強と修行のためのひとり旅です。家からユニフォームの衣裳を着て行きました。ふつうの洋服は持って行きませんでした。もともとちょっとシャイなところがあるので、恥ずかしい気持ちをなくすために、ユニフォーム姿一本で行こうと考えてのことでした。

空港でも航空機内でも、ずっとユニフォーム姿。すると、アメリカの入国審査で係員が僕を見て急に笑い出したんです。それまでムスッとしていたのに、隣の同僚に「ちょっとコイツ見てみろよ!」なんて言って。「これはもうイケる」と思いました。街を歩いていても反応がすごい。日本人は遠巻きに見ている感じだけれど、向こうの人はグイグイくる。サインがほしいといわれ、カタカナでニッチローと書いています。
── 実物のイチローさんの印象は?試合はいかがでしたか?
ニッチローさん:いちばん印象に残っているのは、ダグアウトから守備に向かうイチローさんの走る姿。地面に足がついていないんじゃないかと思うくらい軽やかで、カモシカのような走りです。
ただ、試合ではすごく苦い思い出があって…。最前列で見ていたときのことです。ファウルボールが来たら取ろう、それを子どもにプレゼントしたらカッコいいなって思い描いていたんです。そうしたら実際にボールが飛んできて「よっしゃあ」と思って捕球したら、ものすごいブーイングがおきた。じつはそれはファウルでなく試合続行を意味するインプレイのボールで、僕はそれを気づかず取ってしまったんです。カッコつけようとしたら、カッコつけられなかった。
すぐさまガードマンがやってきて連れ出されました。メジャーリーグの規定で、プレーを妨害した人は即退場になります。けれどコンコースまで上がったところで、「待った」がかかって。球団の社長夫人から「わざとじゃないからもう1回チャンスを与えてあげて」と連絡が入ったそうです。おかげでもう一度席に戻ることができました。しかもそこで注目されたことで、後の仕事につながりました。
レッド吉田さんから呼ばれてテレビに出るように
── あわや退場という状態から、いったいどんなお仕事に?
ニッチローさん:レッド吉田さんがテレ東のメジャーリーグの中継番組で解説をしていて、そこで僕を見かけたようです。レッド吉田さんに呼ばれてネタをみせたら、「これは、(とんねるずの)『細かすぎて伝わらないモノマネ選手権』に出したほうがいいんじゃない」と言って、放送するフジテレビにつないでくれました。『細かすぎて』に出演するには7回程度オーディションがあるそうで、そのときは審査の時期としてかなり進んでいました。自分はギリギリ最後のタイミングに滑り込みで入れてもらい、パフォーマンスを見せると、出演が決まりました。だから、レッド吉田さんには本当に感謝しています。

── 番組出演の反響は?
ニッチローさん:めちゃめちゃありました。番組で準優勝になったので、そのインパクトもあったようです。そこから営業につながって、イベントに出るようになりました。
ある日、芸人の古賀シュウさんの家で新宿のものまねエンタテインメントレストラン『そっくり館キサラ』のパンフレットを見かけて。そんなお店があるのだと知り、オーディションに行きました。でも、後々オーナーに聞いたところ、それ以前に僕を下北沢で見かけていて、スカウトしようと追いかけたけど、足が早くて追いつけなかったとか。なので、オーディションも形だけで、すぐ合格となりました。その時点で路上パフォーマンスをやめました。