自分らしい仕事や働き方って、どういうことでしょうか。32歳にして、カフェ店員を辞めて未知の世界へ飛び込んだニッチローさんは自分の道をみつけます。きっかけはお客からの「似てるね」のひと言。迷いの中にあった人生が、動き出した瞬間でした。(全3回中の1回)

カフェ店員時代に「似てる」と言われて

── イチローさんのものまねで知られるニッチローさん。この世界へ入ったきっかけは何だったのでしょう。

 

ニッチロー

ニッチローさん:代々木上原のカフェ(取材場所が同店)で働いていたとき、お客さんに「イチローに似てる!」と言われたのがきっかけでした。2006年の第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でイチローさんが活躍していたときで、お店で毎日誰かしらに言われるようになって。そんなに言われるならと思い、マリナーズのキャップをかぶったり、ポーズをしてみせるようになりました。キャップはボーナスで買ったもの(笑)。最初は「お客さんにちょっと喜んでもらえたら」程度の軽い気持ちでした。

 

── 素人ながら、すでにエンターテイナーですね!もともと芸人に興味があったとか?

 

ニッチローさん:芸人というより、役者に興味がありました。もともと映像のプロデューサーやディレクターなど、演出家を目指していて。高校卒業後に上京し、放送系の専門学校に入っています。ただ、学校を出ても、そうした仕事に就くわけでもなく、カフェでバイトをしていました。カフェブームもあって、おしゃれな感じにひかれていたんです。

 

少しずつ演出ではなく役者に魅力を感じるようになり、演技のワークショップにも行きました。飲食の仕事をやりながら、読者モデルみたいなこともしています。といっても路上で撮るスナップ写真程度ですけど。そうこうしているうちに25歳になり、年齢的に役者はもうちょっとムリかなと思うようになって。実際、役者になるために何か一生懸命やったわけではなくて、もっと楽にいける方法を考えていたんです。当時は表参道のカフェで働いていたので、声をかけられるんじゃないかと期待したりもして。そんなことはまったくなかったですけどね。

 

ニッチロー
俳優に憧れていたロン毛時代

役者をあきらめて、一度、長野の実家に帰っています。家業を継ぐつもりでした。でも、10か月後には再び東京へ。東京で何もしないまま地元に逃げ帰った感じがして、やっぱりまだ帰っちゃダメだと思ったんです。「飲食で頑張ろう」と覚悟を決めて、改めて上京しました。代々木上原のカフェで働いて正社員にもなりました。でも、やっぱり「人前に出たい」気持ちはあったんでしょうね。「イチローに似てる」と言われるようになって、当初は店の中限定でものまねをしていた感じです。

「いざ東京ドームへ」路上パフォーマンスを決行

── ご自身の中で、イチローさんに似ている意識はありましたか?

 

ニッチローさん:ありませんでした。当時、僕はロン毛だったし、自分ではまったく気づかなかったですね。ただ、イチローさんはそのころからスーパースターだし、気にはなっていました。日本人で世界に出ていき、活躍されている姿をずっと見ていたので。

 

ニッチロー
シアトル・マリナーズの本拠地(現・T-モバイル・パーク) で記念写真

── 本格的にものまねを始めたのは?

 

ニッチローさん:2009年、第2回WBC開催の年です。イチローさんの活躍もあり、すごく盛り上がっていて。それまではずっと店の中だけでものまねをしていたけれど、路上でパフォーマンスをしたらおもしろいのではと思い、日本代表の試合をしている東京ドームへ向かいました。そのときはちゃんとした衣裳ではなく、キャップにTシャツ、ホワイトジーンズというスタイルです。駅のトイレで着替えたけれど、最初はやっぱりドキドキして、なかなか外へ出られませんでしたね。意を決して出ていき、東京ドームの正面で、プラスチックバットを持ってパフォーマンスをしています。

 

そうしたら、もうすごい人に囲まれて。ケータイで写真を撮られるは、取材をされるまで、思ってもない反響でした。これはすごい、そんなに似てるんだと思って。だったら、ほかでもやってみようと考えるようになりました。どんどん大胆になって、ドームはもちろん、渋谷、新宿、下北沢など、繁華街の駅前でもパフォーマンスをしています。家でキャップやユニフォームなど衣裳を着て、そのままの格好で電車に乗っていきました。でも、みなさん声をかけてくる感じはなくて、遠くから写真を撮ったりすることが多かったですね。なんかそれが楽しかった。コスプレイヤーじゃないけれど、ほとんど趣味です。

 

イチローさんの衣裳でスシローに行ったこともあります(笑)。飲みにもよく行きました。あの格好で行くと、周りの方がごちそうしてくれたりもするんです。