「自閉症だから」という枠にとらわれて

輪島貫太、輪島楓
貫太さん(小学2年生)と楓さん(年長)

── 退院後、自閉症について調べるなどされたのですか?

 

輪島さん:母は心配した通りだと思ったらしく、産後に退院したら自閉症関連の本をたくさんそろえてありました。それをパラパラと読むうち、やっと事の深刻さに気がついて。そこからは自分でも自閉症について詳しく調べ「あ、これうちの子やってる」「自閉症の特徴に当てはまってる」と、本に自分の息子を合わせていくという感じになってしまったんです。

 

── たとえばどのようなことでしょうか?

 

輪島さん:貫太がつま先立ちしているのを見て「自閉症の特徴につま先立ちと書いてある通りだわ」。呼びかけても振り向かないと本に書いてあるのを見て呼びかけてみて「あ、本当に振り向かないわ」。全部のチェック項目を確認しながら答え合わせして「やっぱり自閉症だからなんだ」と納得していくような作業です。そこからは「子どもだから」という要素がなくなり、「自閉症だから」というくくりにとらわれた状態でしか息子を見られなくなりました。

 

── 療育や発達支援の病院には行かれたのですか?

 

輪島さん:ちょうどそのころ、金沢大学附属病院に「こどものこころの診療科」が立ち上がるという話があり、月に2回ほど通うようになりました。そこで発達専門の方が自閉症の息子にどう関わっているかを見て、家庭で同様の関わりを実践する「ペアレントトレーニング」を取り入れ始めたんです。すると今度はその知識がすべてになっていき、夫や母に「そういう関わり方はダメなんだよ!」と「こういうふうに声かけしないといけないんだよ」と、療育のマニュアルにガチガチに縛られるようになってしまったんです。

 

また、感覚刺激を受けるのがいいと知り、スイミングやトランポリンを習いに行ったり、フラッシュ式暗記法や公文式の体験教室に行ったりと、自閉症児にいいと言われていることは何でもやろうと必死でした。いま振り返ると「何を目指していたのかな?」と思うのですが、そのころは息子ができることを少しでも増やしたい、という思いで「何とかしなくちゃ」「何かをしなくちゃ」と焦っていたんだと思います。

 

── 長女の楓さんもまだ小さいなか、習い事などにあちこち連れて行くのは大変でしたよね。

 

輪島さん:かなり大変でした。赤ちゃん連れというだけでも大変なのに、貫太は人の言うことを聞かずに勝手に動き回るし、移動するだけでもひと苦労。同居はしていませんでしたが、母に協力をお願いするしかありませんでした。