誰もが忘れない3.11。あの日の悲惨さや苦しみは、人生観さえ変わった人もいるでしょう。戦隊ヒーロー「ゴーオンブルー・香坂連」役を演じ、役者の道をまい進していた片岡信和さんもそのひとりでした。(全3回中の3回)

「いいことだ、がんばれ」無口な父の言葉が支えに

── 日曜20時56分からのテレビ朝日系『有働Times(タイムズ)』で、ピアノ弾き語り天気予報を披露している片岡さん。どのような経緯で、気象予報士の資格を取得したのでしょうか?

 

片岡信和
天気図を分析する片岡さん

片岡さん:役者時代、自然災害によって仕事に影響を受けたのが、ひとつのきっかけになりました。以前から、キャリアの長いドラマプロデューサーの方が撮影終了後も、どこか不安そうな顔をしているのを見かけることがあり、気になっていました。僕が「撮り終わって、オールアップじゃないですか!」と言ったら、その方は「違うんだよ、片岡。放送されてこそオールアップ」と答えたんです。

 

最初はピンと来なかったですが、その後、実際に自然災害により、決まっていた仕事がなくなったことがありました。2013年の成人式の日に関東地方に降り積もった大雪や、2018年に近畿地方に被害をもたらした台風21号などです。ずいぶん前から何百人もの予定を合わせたのに撮影場所が使えなくなり、全員のタイミングを再度あわせるのは不可能なので、撮影自体がキャンセルになることも。また、撮影はすべて終えて作品が完成していても、放送延期や放送枠自体がなくなったり、映画の公開が遅れて、公開期間を確保できずにお蔵入りの経験もしています。

 

災害直後は、命を守ることを最優先にしなければなりません。そんなとき、娯楽がいちばんに消えます。東日本大震災直後、二ュース番組でキャスターや出演者が「自分たちが今できることを、力をあわせてがんばろう」と言っている姿を見ながら、娯楽であるエンタメで活動している僕は、自分にできることは何もないとむなしさを実感しました。当時は社会のために役立ちたくても、何もできず、すごく孤独を感じました。それで、役者とは別のかたちで人の役に立てる方法を探し始めた結果、気象予報士に辿り着いたんです。

 

片岡信和
友人から引き取ってココちゃん(雑種・さびねこ)の里親に

── 役者さんが、自然災害の影響をそんなに受けるとは想像しませんでした。さまざまな思いがあったのですね。気象予報士試験の合格率は5%程度の難関と聞きますが、大変でしたか?

 

片岡さん:たしかに大変でした。いざテキストを購入してみると、ものすごく分厚く、しかも本格的な理系の内容。文系の僕は物怖じして本を閉じてしまいました。その後は、環境問題を勉強したりしていましたが、毎年のように災害が起き、役者の仕事にも影響を受けることもしばしば。30歳を過ぎて、やはり何か人の役に立つことをしよう!と一念発起しました。発生した自然災害はどうにもできないので、これを逆手にとって、一歩踏み出すきっかけにしようと考えたんです。

 

マネージャーに相談して「2年間」と期限を決めて、役者の仕事を減らして資格試験の勉強に集中することに決めました。20代は好奇心と勢いで進みましたが、この気象予報士試験に人生を賭けて臨みました。

 

── 人生を賭けて挑んだ受験勉強。心の支えは?

 

片岡さん:ふだんは無口な父に「気象予報士の勉強をして、人の役に立ちたい」と伝えたら、父がおもむろに「お前、それはすごくいいことだ、がんばれ」と言ってくれたんです。いつもは何も言わない父がそこまで応援してくれるなら、と、この言葉のおかげで最後まで頑張れました。ただ、勉強を続ける中で2度ほど、本当にムリだと思って真剣にあきらめようとしたこともあります。