生後5か月、3歳の子どもと自宅で被災
── 助産師になったのち、岩手県医療局に入局し、まず岩手県の北部沿岸にある県立久慈病院産婦人科に赴任されたそうですね。
佐藤さん:はい。ただ、3年後に結婚し、花巻市に移住した後は岩手県医療局を退局。東京の助産院に転職しました。開業を見据えて、尊敬する助産師さんのもとで修業をしたかったんです。でも、私の大好きな父や恩師をはじめ、まわりの人たちには大反対されました。「せっかく公務員として就職できたのに、なぜわざわざ辞めて将来の収入が約束されていない仕事に就くの?」って。今思えば、あのころは、夢と希望と若気の至りだけで動いていたかも(笑)。「安定や生涯年収なんて関係ない」と思っていました。
── すごい行動力ですね。東京の助産院で1年ほど働いた後、2007年に岩手県へ戻り、花巻市で助産院を開業されました。同じ年に長男、2010年に長女を出産されています。その翌年、2011年3月11日に起きた東日本大震災では、花巻市のご自宅でお子さんたちと被災されたそうですね。
佐藤さん:はい。自宅の和室に子どもたちといたら、緊急地震速報のアラームが鳴り出して。初めて聞く音だったから「何!?」って驚いていたら、その瞬間、家が大きく揺れ始めたんです。重い地響きを感じました。物が倒れたり割れたりする音が鳴り響いたので、急いで息子と娘をテーブルの下に隠れさせ、自分も頭だけテーブルの下に入れて。激しい揺れは1分以上続いたと思います。初めて「家が壊れるかも」という恐怖を感じました。

── 家が壊れそうな強い揺れだったのですね。お子さんも一緒で不安だったかと思います。
佐藤さん:大きな揺れがやっと落ち着いたので、テーブルの下から出てまわりを見渡してみたら、家具が倒れ、割れたガラスが散乱していて。家は倒壊しなかったのですが、中はぐちゃぐちゃでした。新築2年目だったんですけどね…。いつまた揺れ出すのかわからない状態だったので、娘と息子を連れて家の外へ出ました。3月だから外はまだすごく寒くて…いったん家に入るのですが、すぐ余震が起きてまた外に出て。その繰り返しでした。
ようやく余震が落ち着いたので家に入り、床じゅうに散らばるガラスを片づけようとしたら掃除機が動かない。そこでやっと停電していることに気づきました。地震から1時間後に帰宅した夫が「町じゅうが停電してるぞ」と教えてくれたのですが、自宅はオール電化だったから、電気や暖房が使えず本当に困りました。ラジオがなくて、自分たちに何が起こっているのかがわからない。花巻の町が、岩手県が、日本がどんな状況なのか知りたくてもまったくわからない状況で、不安しかありませんでした。

そのときには沿岸部に津波が来ていたんだと思います。でも、内陸部にいた私たちには何の情報もなく、いつ本震や余震がくるかわからない状態で、娘のおむつを替えるのも怖いほどでした。午後6時には布団に入って、みんなで「寒いね」と震えながら寝ました。