「やたらと『あ』の多い菅野美穂さん」など、そのなりきりぶりに大反響!モノマネ芸人としてブレイクした梅小鉢の高田紗千子さん。人気で多忙になるにつれ、高校の同級生で仲良しコンビの相方と次第に考え方にズレが生じて──。(全3回中の1回)

相方は同級生「安易な考えでコンビを結成し」

お笑いコンビ・梅小鉢
下校後は遊びに出かけ、帰宅後も電話で話し、とにかく毎日ずっと一緒にいた高校生時代

── 高校時代の同級生とコンビを組んで芸人になったきっかけは何ですか?

 

高田さん:相方の小森麻由とは本当に仲がよくて、地元・京都の高校で出会ってからずっと一緒にいました。クラス替えのときには先生に「来年も2人同じクラスにしてください!」とお願いするほど。芸人になったのは、2人でコンビを組めばこの先もずっと一緒にいられるし、仕事も一緒で楽しそう、という安易な考えからなんです。

 

ただ、高校卒業後すぐだとお金がなくて心配だったので、それぞれ1年間働いて数十万円のお金を貯めてから芸人になろうと決めました。私は百貨店のサービスカウンターで働き、小森は介護福祉士の助手をしていました。1年後、お笑い系の芸能事務所を探すなか、松竹芸能に電話をしたら「いつ来ても大丈夫ですよ」という返事だったので、2000年、19歳のときに事務所に所属しました。

 

── 高校生のときから2人でおもしろいことをするのが好きだったんですね。

 

高田さん:はい。でも、2人とも人前に出たいタイプではなかったので、たとえば学園祭で何か披露したとか、同級生の前でおもしろいことをしたこともなく…。2人だけでこそこそと何か言い合ってずっと笑っているような感じでした(笑)。クラスで何かを決めるようなときも、手を挙げたり発言するなんて恥ずかしいタイプの内気な2人でした。だから「芸人になって絶対に売れるんだ!」という気持ちよりは、「仲良し同士の遊び感覚の延長」で芸人になったようなところがあります。

怖いもの知らずだったのが逆によかった

お笑いコンビ・梅小鉢
養成所に入りたての宣材写真。ポーズが謎!(笑)

── 松竹芸能では安田大サーカスのクロちゃんやHIROさんとはほぼ同期だそうですね。松竹芸能に所属して、そちらの養成所に入ってからお笑いを学んだのですか?

 

高田さん:それが、当時は養成所といってもお笑いを学ぶ時間はなく、いきなり何かネタを考えてくださいと言われました。でも、お笑いを研究してネタを考えてきた芸人さんと違い、右も左もわからずお笑いの世界に飛び込んだ2人だったので、そこで初めてネタをつくったんです。それが逆によかったのか、事務所に入った年からライブに出られるようになりました。

 

── 初めてネタをつくって、いきなりライブはすごいですね。

 

高田さん:怖いもの知らずだったんでしょうね。けっこう「はっちゃけた」ネタをやっていました。キャラもののコントで、私がサングラスをかけて真っ赤なドレスを着て、突拍子もないことを言うようなネタでした。ネタのよし悪しがわからないなりに、すごく楽しかったのを覚えています。当時の松竹芸能でトップレベルに人気だったのが、ますだおかださんのライブだったのですが、そこに出演できる権利をいただいたこともありました。とにかく無我夢中でネタをつくる日々。そのころは女芸人が少なかったので、女性というだけで目立ちましたし、重宝してもらった部分もあると思います。

 

── では、最初から芸人一本で生活できたのでしょうか?

 

高田さん:すごく稼いでいたわけではないですが、最初からレギュラー番組をいただきましたし、実家住まいで家賃がかからなかったので、なんとか自分が生活するには困らなかったです。でも、実力がないからすぐにレギュラーがなくなって仕事も減り…。そこから5〜6年はアルバイトしながらの活動でした。

 

やはりアルバイト生活が続くと、テンションが上がらなくて。ライブに出るためだけにネタをつくり続ける生活もどうなんだろうな?と感じたことはありました。そんなときに芸人を続け、そして関西から上京するきっかけとなったのが、モノマネです。