お袋が運ぶ縁「しっかりつなげていきたい」

── どんなお母さんだったのでしょう。

 

ユカイさん:両親ともに公務員で、親父が早くに亡くなったあとも、お袋はずっと定年まで勤めていました。だから、退職後はもう悠々自適でしたよ。旅行に行ったり、鎌倉彫に凝ったりと、晩年までずっとアクティブに過ごしていました。お袋が亡くなったのは90歳のとき。死に目にはあえなかったけれど、もうしょうがない。こういう仕事をしているから。ただ、そのときはすごく急で、危篤とも言われてなかったし、まさか亡くなるとは思っていなかったんですよね。

 

亡くなったのは、自分がロケで地方に行っているときでした。ロケ先で田んぼの水路を眺めていたら、白蛇が流れていくのを見つけて、思わず写真を撮っちゃった。白蛇なんて珍しいじゃないですか。そのときふと何か予感がしたんです。マネージャーから「お母様が亡くなりました」と、聞かされたのはその直後でした。あのとき撮った白蛇の写真は、いまもスマホの待ち受けにしています。

 

ダイアモンド☆ユカイ
RED WARRIROS FAN TOUR で熱唱

── 亡くなってもずっと見守ってくださっていると。

 

ユカイさん:そう感じます。お袋は本当にいつも俺のことばかり考えてくれていたし、自分はずっとお袋に守られてきた。ひとりっ子だったので、小さいころから甘やかされて育ってきました。「安定した職に就いて欲しい」と親は望んでいたけれど、自分はロックをやったり、心配ばかりかけてきた。お袋に対しては後悔ばかりです。だから、こうしてお袋のゆかりがある深谷の親善大使として何かしら力になれるのは本当にうれしいですよね。

 

これからも、もっともっと深谷の魅力を広めていきたい。深谷の魅力は、純粋な田舎の良さがあるところ。何もないところがいまの時代は逆にいい。あと立派なネギがある。「ネギロックフェス」にしても、深谷でしかできないお祭りにしたい。これからもずっと続けていければと、思っています。

 

PROFILE ダイアモンド☆ユカイさん

だいあもんど・ゆかい。1962年3月12日、東京生まれ、さいたま市育ち。1986年、伝説のロックバンド「RED WARRIORS」のボーカルとしてメジャーデビュー。人気絶頂期の1989年わずか3年の活動で日本武道館公演を最後に解散。その後、ソロ活動を開始し、音楽活動のほか、舞台・映画・バラエティー番組に出演するなど幅広く活躍。

 

取材・文/小野寺悦子 写真提供/サンミュージックプロダクション