サッカーでアイデンティティを見出して

── 武蔵さんが「白くなりたい」という気持ちから解放されていったように見えたのは、いつごろからだったのでしょうか?

 

鈴木さん:当初はサッカーチームでもパス回しに参加できなかったり、肌の色のことを言われたりしていたようですが、だんだんとサッカーで自分らしさを見出して表現できるようになって、小学校高学年以降は言わなくなりました。それまでは「日本にいるときは、肌の色が黒くて日本人じゃないように思われる。だけど、ジャマイカに行っても自分がジャマイカ人だとは思えない」みたいな感じで、自分のアイデンティティはどこにあるんだろうと悩んでいたところもあったと思うんです。でも、得点すればみんなが喜んでくれてみんなの仲間になれるという場面が増えてきて、「白くなりたい」と言うことはなくなりました。中学校ではクラブチームに入り、土日もいろいろなところで試合をするようになったので、サッカーを続けるなかでアイデンティティが確立できるようになったのかなと思います。

 

── 中学校に入ってからは、反抗期もありましたか?

 

鈴木さん:反抗期は中学校2年生や3年生のときだったと思うのですが、汚い言葉を使って反抗してくることはありませんでした。当時はトレーナーの襟元や袖口にたくさん切れ目を入れるおしゃれが流行っていたみたいで、わざとボロボロにしたトレーナーに腰パンというファッションをしていたんです。でも、縫いものが得意な私の母が「むっちゃん、ほつれちゃったがね~」と言って、わざわざ当て布までして襟元をきれいに縫ったんですよ(笑)。翌朝、おばあちゃんにしっかりと縫われたトレーナーを着て黙って登校しましたね。でも、袖口はいつの間にかまたボロボロにしていて。そういう無言の反抗期はありました。1度だけ部屋のドアをドーンと拳で殴りつけたこともあったのですが、私に対して何か言うことはなかったので、反抗をなるべく表現しないようにしていたのかなと思います。

 

私は子どもたちを父母に見てもらって、昼は小中学校の補助教員や家庭教師を、夜は塾の講師をしていたんです。旅行も専門分野だったので、旅行社の添乗員をしたりバスツアーの企画をしたりもしていて、子どもたちと一緒にいる時間はそんなに作れなくて。今考えると、私に気を使ってくれていたところもあったのかもしれません。