サッカー元日本代表、鈴木武蔵さんの母・真理子さんは、武蔵さんの小学校入学を機に日本に帰国しました。肌の色をやゆされ「白くなりたい」と悩んだ武蔵さんにかけた言葉や、シングルマザーとして仕事と育児を両立する中で心がけていたことを伺いました。(全3回中の2回)
「白くなりたい」とベビーパウダーを塗るように
── 帰国後は、群馬県のご実家でご両親と生活することに。武蔵さんの著書では「入学式を終えて教室で話を聞いていたら、突然お母さんが黒板の前に立ってみんなに話し始めた」とありました。どんなお話をされたのでしょうか?
鈴木さん:入学式が4月7日だったと思うのですが、日本に戻ってきたのが3月17日ごろだったんです。彼が地元に溶け込む時間がなかったことや、このあたりで黒人のハーフが全然いなかったことなどから、小学校の入学式が初顔合わせだと、どうしても黒人であることにみんなの目が向くんじゃないかなと思って。担任の先生に「入学式当日にお話をさせてください」とお願いして、クラスのみんなの前で「武蔵は、ジャマイカ人という黒人のお父さんと日本人の私の間に産まれた子だから、肌の色が黒いんです。日本にも初めて来ました。よろしくね!」と伝えました。そのときは「はーい!」とか「ふーん」とか、みんな無邪気な反応だったと思います。
でも、小学校3年生になったころから、武蔵が「みんながぼくのことを『コロッケ』って呼ぶんだよ」と言うようになって。初めはタレントのコロッケさんみたいにうちの息子はものまねが上手いのかな?ぐらいに思っていたのですが(笑)、だんだんと「フライパンって言われる」とか「ハンバーグって言われる」とか、少しずつ黒いものに例えられていることがわかるようになりました。「白くなりたい」と訴える武蔵に、一緒に住んでいた父が「シッカロール(ベビーパウダー)をパタパタすれば、白くなるよ」なんて伝えたものだから、武蔵は自分の肌に夜な夜な塗るようになりました。
── その様子を見て、どのようなお言葉をかけましたか?
鈴木さん:「マミーはむっちゃんのその色が大好きだから!そんなことしなくていいよ。全然、大丈夫」と伝えたのですが、そんなにも悩んでいるとは気づいてやれませんでした。私は後ろめたさみたいなものがまったくなくて、自分の子どもたちを誇らしいと思って育てていたので、周りがどんなふうに感じていたのか、息子がどんなふうに言われていたのか、鈍感だったのかもしれません。武蔵の著書を読んで初めて知った話もあって、母親だったのに彼のことを全然知らなかったなとショックを受けた部分がありました。読んだ後に「武蔵はそういうふうに感じていたんだね」と声をかけました。