2022年7月に乃木坂46を卒業し、現在は毎週月曜日から木曜日に放送されている『山崎怜奈の誰かに話したかったこと。』(TOKYO FM)をはじめ、3本のラジオ番組でパーソナリティーを務める山崎怜奈さん。子どものころから勉強好きでしたが、地元の小学校には馴染めなかったといいます。(全2回中の1回)

勉強が好きで負けず嫌いな子どもだった

── 中学、高校時代を私立の郁文館で過ごし、慶應義塾大学卒業という華々しい経歴ですが、小学生から成績が優秀だったとお聞きしました。もともと勉強はお好きだったのですか?

 

山崎さん:勉強、好きでした。小さいころから「どうして電子レンジで物を温められるんだろう」とか「どうして虹は七色なんだろう」とか、身近なことに素朴な疑問を抱くことがすごく多かったんです。でも、そういうことって親に聞いても、あんまりうまく説明できないじゃないですか。両親も「自分で調べてみて、それでもわからなかったら聞いてね」というスタンスで。みずからパソコンで検索したり、おこづかいで本を買って調べてみたりするのが日常だったので、 自然と勉強が好きになっていました。

 

幼少期の山崎怜奈さん
幼少期のころ(Instagramより)

── では、日々の宿題や勉強はみずから進んでしていたのですか?

 

山崎さん:「勉強しなさい」と言われすぎると、勉強が嫌になると思うんです。だから、言われる前にやるようにしていました。 たぶん、負けず嫌いなんですよね。「言われる前から勉強してるし、成績よかったら文句ないでしょ」という、両親に対する反骨精神というか。「反抗」ではなく「抵抗」ですかね(笑)。

 

あと、父から「やりたいことをやるためには、やるべきことはやらなきゃいけないよ」と言われたのが、子どもなりにすごく腑に落ちたんです。小学生のころはゲームや読書、手芸など趣味がたくさんあって、とにかくそのための時間がつくりたかった。だから、やりたいことをやるために、勉強というやるべきことはさっさと片づけるという習慣が身についていました。

地元の中学に行きたくなくて中学受験を選択

── 中学校は受験をしたそうですね。その理由を教えてください。

 

山崎さん:いちばんの理由は、地元の中学に行きたくないからでした。当時、通っていた小学校が好きではなくて…。自分がほかの子と少し違っていたのか、同級生と合わなかったんです。地元の公立中学に行くと同級生の顔ぶれが変わらないので、馴染める自信がありませんでした。クラス内でいじめのようなものもあったので、また嫌な思いをするんじゃないかって。小6の夏休みに母に相談したら、「文句を言うのは簡単だけど、じゃあどうする?」と、中学受験という選択肢を与えてくれて。その方法があるなら、わざわざしんどい道に進む必要はないなと考えて、受験を決意しました。

 

それで、急きょ地元の塾に通い始めて。受験まで時間がなかったこともあって、志望校は2つに絞り、そこに特化した勉強をすることにしました。第一志望は学費があまりかからない都立の中高一貫校で、第二志望が私立の郁文館中学校でした。

 

山崎怜奈さんと私立郁文館中学・高等学校の大久保勝さん
情報番組『ウェークアップ』の企画で、母校である私立郁文館中学・高等学校の大久保勝さんと共演(Instagramより)

── 小6の夏休みからだと受験勉強するにも時間はかなり限られていますね。

 

山崎さん:はい。受験までの半年間は毎日、学校が終わったらすぐ塾に行って勉強して、帰ってきて家でも勉強…という生活を送っていました。でも、その年は都立の人気が高くて、直前の模試の判定もギリギリ。本当に焦って、睡眠時間も削って勉強に励みました。頑張りすぎたのか、受験の1か月前にインフルエンザにかかってしまったのですが、そのときも発熱しながら家でずっと机に向かっていました。今思うと本当に大変でしたが、地元の中学に行きたくない一心で「いま頑張らないと」って、とにかく必死だったんですよね。