40年間、個人住宅を手がけてきた住宅設計者であり、「生活を積極的に楽しむこと」がモットーの一級建築士・田中ナオミさん(61)。自身が実践する「がんばらなくても片づく家事と収納」をまとめた書籍『60歳からの暮らしがラクになる住まいの作り方』が発売され、話題になりました。その考え方は幼少期の徳島での簡素な暮らしに根づいたものだといいます。
愛にあふれる家族と暮らすも「うちはほかの家と何か違う」
母はイギリス人、父は日本人。アメリカで結婚した両親が父の故郷・大阪に居を構え、私が生まれました。2歳のころに父が徳島大学に生化学の研究室を持つことになって徳島県徳島市へ移住。18歳で東京に上京するまで徳島で過ごしたので、徳島は私の故郷です。すごく田舎という街ではないけれど、山があって吉野川があって海も案外近くて、人も街ものんびりとほがらかな場所に住んでいました。4つ上の姉と2つ上の兄がいる三きょうだいの末っ子で、家族5人のほかに犬や猫も家族でした。
当時の徳島では外国人がまだめずらしかったから、母と街を歩いていると振り返られることもしばしば。なかにはすれ違うときに「ハロー」ってからかう人もいて…幼心にわが家はほかの家とは何か違うと感じていました。
母が日本語をすべて理解していたわけではないので小学生のころはいつも不安でしたが、学校には友達がいっぱいいて学校に通うのは大好きでした。自宅の庭で育てた花を学校に行くときに母が持たせてくれて、「こんなふうにクラスを自分の家みたいに思うのは素敵ね」と先生が言って、教壇に花を生けてくれたときはうれしかったな。周囲から好奇の目で見られるのは嫌だったけれど、少しずつ人と違うことが誇らしくなっていきました。
私を「天使」と呼んだ愛情深い母親に救われた日々
父は大学に自分の研究室を持ち、母は英語の論文訂正を自宅でしていた教養人。父は自分勝手だけれどユーモアがあり、憎めないチャーミングな部分がありました。母は何よりも家族を大事にする愛にあふれる人。人には慈悲深く自分には厳しくて決して泣き言を言わず、ユーモアが大好きでした。どちらもとても尊敬しています。小学1年生のとき、家庭訪問で担任の先生が来て「ナオミちゃんはおうちではどうですか?」と母に聞いたとき、「天使さんです」と母は笑顔で答えました。恥ずかしかったけどうれしくて…。そのときから「私は母の天使なんだ!」と、心の応援になっています。
外で嫌なことがあっても、家に帰れば自分を全面的に応援してくれる家族がいる。そう思うと不安や悩みを抱えることは、ほとんどありませんでした。
家族の温かな愛に包まれて過ごした幼少期。何より愛を伝えることを大切にしていた家族とはずっと手紙のやり取りをしていました。私が社会人になってからの母の手紙には必ず「Don't work too hard!(仕事を頑張りすぎないように)」とメッセージが。私がどこか遊びに行くときにいつも晴天で追い風なのは、没頭しすぎる私を心配していた母が「休日を楽しんで」と言っているように感じるので、今も手帳に挟んでお守りのように持ち歩いています。