ユニフォームの統一がわけ隔てない社会の第一歩に

── スタートから8年経ちました。選手たちの意識も変わってきたでしょうか?

 

北澤さん:いちばん大きなモチベーションになったのは、2023年にユニフォームが日本代表と同じサムライブルーのデザインに統一されたことです。たとえば、イングランドでは、すべての障がい者カテゴリーで国代表と同じユニフォームを着用しています。僕が就任した2016年から、日本でもそれができないかと考え、ずっと動いてきました。

 

知的障がいサッカー
知的障がいサッカーもサムライブルーで日の丸を背負って戦う(C)JFFID

日の丸を背負う日本代表として、健常者も障がい者も同じサムライブルーのユニフォーム着て戦うのが自然だと思いますし、見る側としても、従来のサムライブルーも障がい者サッカーも、なでしこも同じユニフォームで応援することで一体感が生まれるんじゃないかと思うんです。やっぱり見た目のインパクトは大きいですからね。いちばんわかりやすいインクルージョンになったのではないでしょうか。

 

── 選手の皆さんは、どんな反応を?

 

北澤さん:みんなものすごく喜んでいましたね。ユニフォームを手にして泣いていたり、袖を通してうれしそうにしていたり。それを見て、こちらもグッときました。それまで、「自分たちは日本代表と同じユニフォームは着られない。サムライブルーは、自分たちには関係ない」と思っていたわけですから。

 

モチベーションが高まったことによって、成績も上がってきたんです。デフ(聴覚障がい者)にはフットサルもあるのですが、2023年のデフフットサルのワールドカップで日本の女子代表チームが初の金メダルを獲得しました。ブラジルで開催されたのですが、ホームであるブラジルに勝利。まぎれもない真の女王ですよね。しかも、デフサッカー男子も世界大会で準優勝したんですよ。

 

── ユニフォーム効果は絶大!支える側も嬉しいことですね。

 

北澤さん:もちろんみんなの努力の結果で、ユニフォームの力だけではないけれど、憧れだったサムライブルーのユニフォームを着て、日本代表の責任や誇りを感じながらプレーすることでピッチ上でのパフォーマンスがあきらかに変わったんです。これには驚きましたね。障がいがあっても、日本代表と同じユニフォームを着て闘えることは、次世代の選手たちにとっても、すごく大きなモチベーションになります。僕らが小学生のときに抱いた憧れと同じような思いで、世界を目指すことができるんですから。

 

東京オリンピック・パラリンピックであれだけ盛り上がり、お互いのよさをみんなが認めあった。そして、「オリンピックとパラリンピックを分ける必要があるのか」という声が出てくるくらいになってきました。そうすると、競技団体も一元化していくのが、次のフェーズだと思っています。イングランドなど一元化している国もあるので、日本でもできないことはないはずです。サッカーが先陣を切ることで、ほかの競技団体もそちらに舵を切っていければいいなと。我々がロールモデルになっていかなくちゃいけないと考えているんです。

 

PROFILE 北澤 豪さん

きたざわ・つよし。1968年生まれ。東京都出身。本田技研工業サッカー部を経て、読売クラブ(現 東京ヴェルディ)で活躍。サッカー日本代表としても、多くの国際試合で活躍する。03年現役を引退後は、社会貢献活動にも取り組み、日本サッカー協会参与・フットサル委員長。日本障がい者サッカー連盟会長などを務めている。

 

取材・文/西尾英子 写真提供/北澤 豪