現役時代は2大会連続でオリンピックに出場するなど、順風満帆のバレー人生を送っていた栗原恵さんですが、実は20万人に1人といわれる大病を患っていた経験が。2016年9月、いよいよリーグ戦が開幕というタイミングで脳血栓が発覚します。(全3回中の2回)
命を落とす危険性があります
── 2016年9月に体調不良という理由で休養されていました。脳血栓を患っていたそうですが、どういう経緯で発見されたのですか。
栗原さん:競技のことを考えてビルを服用していたんです。その副作用で血栓症のリスクがあることはあらかじめ病院の先生から聞いていましたし、定期的に検査も行っていました。副作用がよくないタイミングで出てしまって。血栓症を発症する確率はとても低いそうなんですが、まさかそのリスクに自分があたるなんて想像もしていませんでした。
ちょうどそのころは10月のリーグ開幕前で、コンディションもよく「今季はレギュラーでスタートできそうだな」「チャンスがありそうだな」と手応えを掴んでいる時期でした。ある日、山の上で高地トレーニングをしているときに頭痛が始まったんです。夜も寝れず最初は高山病にでもかかったのかな程度で考えていて、山を降りればきっと治るだろうと軽く考えていました。ただ、下山しても頭痛は治らず、むしろさらにひどくなり、最後は吐いてしまって。母と電話したときにそのことを伝えたら、「頭痛で吐くって、脳に何かあるんじゃない?病院に行ってみなさい」と言われて。
── その後すぐに病院に行かれたんですか。
栗原さん:母からは「病院行ったの?」と何度も連絡がありました。ただ、私自身はまさか脳に異常があるわけはないだろうと思っていたんです。コンディション自体は開幕前ですごく調子がよかったですし、何よりも練習を休みたくなくて。信頼できるトレーナーにはいちおう話をしていたんですが、頭痛はいっこうに治りませんでした。しかも、練習前にテーピングを巻こうと下を向いたときに激しい痛みから涙がポロポロ出て止まらなくなってしまって。それを見たトレーナーから、「今日の練習は休んで私と病院に行ってください」とわれ、病院に直行。そのまま入院することになってしまったんです。
── 予兆があったとはいえ、即入院とは栗原さんも戸惑ったのではないでしょうか。
栗原さん:診察に行くと、先生が「これも検査しておこうか」と、様子が徐々に怪しくなってきて…これはもしかしてただ事ではないのかなと。そのときに言われたのが「このままプレーしていたら突然倒れて命を落とす危険がある」ということ。その2週間ほど前に私と同じ血栓の症状で倒れて運ばれた方がいたのですが、その方は麻痺が残ったそうです。つまり、私はそれほどリスクがある状態で動いていたんです。2週間点滴を打って血栓を流して命のリスクがなくなるまではバレーボールはできないと宣告されました。
気持ちはリーグ戦に向いてたので、それでも私は受け止めることができず「もうすぐ開幕なんです。そこに間に合わないですか?」と先生に食い下がったんです。先生は命の話をしているのに、私はリーグ戦の話をしていて、まったく話が嚙み合っていなかったですね。
── その診断には周りの方も驚かれたのではないでしょうか。
栗原さん:入院した翌日には母がすぐにかけつけてくれました。命を落とす危険性があるというのに、私の頭はバレーボールのことでいっぱいだということをLINEのやり取りでわかっていたので、到着して病室のドアを開けて入ってきた瞬間に「命を無駄にしてバレーボールするバカがどこにいますか!」と怒鳴られました(笑)。
同席していた先生もびっくりして。「この症状でバレーボールの調子がよくて、開幕レギュラーでいけるかもしれないっていうところでプレーできるなんて、やっぱ世界のアスリートはすごいですね」と場をなごませようとしてくれたんですが、「先生、バカなこと言わないでください!命をムダにしようとしてたんですよ」と母の言葉には先生も苦笑い。母からは「命あってこそバレーができるんだよ。命と健康が成り立たないとバレーボールはできないんだよ」と冷静に言われ、そこで私もようやくわれに返りましたし、しっかり治そうと気持ちを切り替えることができました。