全盲の旅カメラマンとして活躍する大平啓朗さん(通称おーちゃん)。学生時代に思わぬアクシデントで失明するも生活訓練を経て、47都道府県ひとり旅や海外旅行にも挑戦。社会をより良くすることを考えながら、常に前向きな気持ちで暮らす大平さんが障害者になって感じたことは?(全2回中の1回) 

致死量の3倍を超える薬品を誤飲し24歳で失明

大平啓朗さん
2003年8月、失明直前、大学の研究のため北海道の湖で調査へ

──  失明されたのは大学院生のころだそうですね。

 

大平さん:はい。大学の大学院に通っていた24歳のころ、友達が遊びに来て飲み会をしようとなったのですが、手元にお酒はなく、お金もない。友達はビールを持ってきていたので、僕は研究室からアルコールの一種「エタノール」を持ち出してジュースで割って飲むことにしたんです。その2日後、気分が悪くなって視点も定まらなくなり、意識を失ってICUに緊急入院。北海道から山形の病院に駆けつけた両親は医師から「命の危険を覚悟してください」と言われたそうです。後でわかったのですが、意識を失った原因は、エタノールだと思って持ち帰った瓶の中身が有毒な「メタノール」だった。ラベルと中身が違ったんです。しかも致死量の3~5倍の量を飲んでしまっていました。

 

人工透析を3回して全身の血を入れ替えると、1週間後、やっと意識が戻ったんです。当時、そのような処置ができる機器は山形県には一台しかなく、たまたま入院した病院にあったので、奇跡的に命拾いをしました。意識が戻ったと思って目を開けても目の前がずっと真っ白で、声も出ず、体も自由に動かせない。最初は自分の身に何が起こったかわからなかったです。会話と体を動かすのは少しずつできるようになりましたが、視力だけは回復しませんでした。

 

大平啓朗さん
2004年9月、失明後、生活訓練のため地元を離れる際に同級生が開いてくれた壮行会で

── 親御さんは心配されたでしょうね。

 

大平さん:とにかく、生き残ってくれた…と、ほっとしたようです。僕自身は、目が見えなくなったことに関してはそこまで深刻にとらえていませんでした。親が困惑して悲しんでいることのほうが、よっぽど苦しくて、本当に申し訳なくて。

 

── 大平さんは目が完全に見えなくなったときにどう感じたか、覚えていますか?

 

大平さん:太陽の光って直視できないほどまぶしくて強いでしょう?あれを一生感じることができないんだと知ったときには、僕の人生で、こんなことが起こりえるんだ…と思いました。

 

── その現実を受け入れるのには、やはり時間がかかったのでしょうか。

 

大平さん:いや、意外とそうではないんです。ショックというより驚きのほうが大きすぎたという感じでした。あくまでの僕の場合だけど、目が見えなくなって将来どうしようとか、仕事をどうしようと考えて落ち込むようなことはありませんでした。