『カーネーション』『カムカムエヴリバディ』など朝の連続テレビ小説をはじめ、数々の作品で俳優として存在感を発揮してきた濱田マリさん。2021年には「人生の心残りだった」と語る、バンド「モダンチョキチョキズ」を再結成。50歳を過ぎた1児の母が今、大きな熱量を注いでいます。(全4回中の1回)
5年で活動を休止した「モダチョキ」がずっと心残りで
── 濱田さんのキャリアのスタートは「モダンチョキチョキズ」でのバンド活動でしたが、子どものころから歌がお得意だったのですか。
濱田さん:歌うことはとっても好きでしたね。歌謡曲が好きだったので、子どものころから歌マネみたいなものを家族の前で披露したりして。高校生のころにはアマチュアバンドを組んでライブ活動を続けていました。そうしたら、コンテストやテレビ番組に出演する機会がだんだんと増えて。ちょうどバンドブームの波に乗れた感じです。
── 2021年に「モダチョキ」の復活ライブを実現し、今も不定期でライブ活動を続けていますよね。
濱田さん:「モダチョキ」は1992年にデビューして、約5年間で活動を停止しました。それから25年近く経ってメンバーが50歳を超えたときに、過去を振り返ったんですよね。ちょうどコロナ禍で、いろいろと考える時間があったから。人生を振り返って「やり残りたことは何だろう」って考えたら、私のなかでは圧倒的にモダチョキだったんです。
── 俳優やナレーターとしてのキャリアを積むなか、やり残していたのがバンド活動だったのですね。
濱田さん:それまでもモダチョキへの思いが頭をよぎることはありましたが、コロナ禍で一気に人恋しくなってしまって。バンドメンバーのグループLINEでやりとりしていて、「もう一度やりたい」っていう気持ちが高まっていたのだと思います。ただ、言い出しっぺは責任を取らされてしまうので、誰もが口をつぐんでいたんです(笑)。そうしたら、バンドマスターのYuzi Brian 絵野から、「僕が責任もってやりますから、どうですか?」って申し出があって。「その言葉を待ってました!」という感じで、再結成に至りました。
──「モダチョキ」といえば、大阪を中心に活動していたエンターテイメントバンド。ギターやドラムに加え、金管楽器も含めてメンバーは20人以上ですよね。全員揃うのも大変だと思います。
濱田さん:たしかに大所帯バンドなので、活動するにはエネルギーが必要です。でも再結成してみて、めっちゃ楽しいっていう気分が原動力になっていますね。みんなが演奏を頑張ってくれているので、私もボイストレーニングに通って歌を頑張っています。2023年にリリースした新曲『きんかん』も「この曲出しちゃえ!」と、みんなの情熱や時間を注いで形になったものだと思います。
── 濱田さんにとってモダチョキは、生きがいみたいなものでしょうか?
濱田さん:趣味です!今はもう仕事ではなくて、趣味にしています。
俳優の仕事は神様からのプレゼントかもしれない
── 近年は映画やテレビで濱田さんの活躍をよく拝見しています。俳優として活動するきっかけは何だったのですか?
濱田さん:「モダチョキ」のミュージックビデオの撮影がきっかけで、俳優をやってみたいと思ったんです。監督から演出されてカメラの前で演じることが、すごく楽しかった。演出家さんがおっしゃることを体現し、それが映像として残る。MVだと、歌詞の世界を表現しているに過ぎないのですが、演技をしていることがすごく楽しくて。本格的に演技をやってみたいという気持ちが芽生えていきました。当時は本業は歌だから、芝居の仕事は難しいと事務所から言われていたのですが、モダチョキが活動停止になったタイミングで、「今だ! 」と思って。
── ちょうどいいタイミングだったのですね。
濱田さん:活動停止はショックでしたが、当時は前しか向いていなかったですね。俳優の仕事を頑張れと、神様がくれたプレゼントなのかなと考えました。
── 朝ドラ『カムカムエブリバディ』ではクリーニング店を営む夫婦役を好演されました。ご実家もクリーニング店だったそうですね。
濱田さん:そうですね。父親が経営しているクリーニング店を、小さなころからよく手伝っていました。なんだかやりがいを感じてしまって、成人してからも手伝いを続けていて。看板娘というか、むさ苦しいおっさんがひとりでやっていたお店で、ピチピチのヤングガールが働いていましたからね。かなりの戦力だったんじゃないかと思います(笑)。
── ドラマのなかでも、アイロンかけのシーンなどは手慣れていた印象があります。
濱田さん:お客さんが持ってきた洗濯物を、タックづけして洗って干して…というプロセスはわかっているので、役づくりはまったくいらなかったですね(笑)。