五輪のメダリストになる人は、才能だけでは語れないほどの鍛錬があり、時間や生活を犠牲にしてまで競技に打ち込みます。平野美宇さんは小学校卒業後、親元を離れJOCエリートアカデミーでの生活を選択。その時の母・真理子さんの心情は胸を打つものでした。(全4回中の2回)
7歳の娘を思う「一緒にいられるのはあと5年」
── 美宇選手が小学1年生のときに全日本卓球選手権・バンビの部で優勝してから、母として真理子さんの気持ちの変化などはありますか?
真理子さん:7歳の美宇が「夢はオリンピックで金メダルを獲ること」と宣言してからは「子離れ」を意識しました。私のそばにいるのは、小学6年生までだろうなと思ったんです。というのも、私たちが住む山梨県は卓球が強い大学も実業団チームもなく、オリンピックを目指すには厳しい環境です。
「美宇と一緒にいられるのは、小学校卒業までのあと5年しかない」と覚悟を決めました。大好きな道を見つけ、しっかり実力をつけていく美宇を頼もしく感じると同時にせつなくもあって…。当時はずっと泣きつくしていました。
── 真理子さんの予想どおり、美宇選手は中学進学とともに上京し、本格的に卓球に打ち込みました。
真理子さん:美宇を送り出すときはとても晴れやかでした。「こんなに立派に成長してくれた。小学生までの親の役割を十分に果たすことができた」という達成感と充実感でいっぱいでした。いっぽうで、夫は小学校の卒業式のとき、大泣きでした。美宇がこんなに早く親元を離れるとは頭で理解していても、心の覚悟が間に合わなかったのでしょうね。
美宇へのLINEの返信は「ほぼ叱咤激励」
── 離れて暮らすようになり、美宇選手と連絡は取り合っていましたか?
真理子さん:寮生活のころより、プロとして独立してからのほうが多くなりました。思春期を過ぎて大人になったのかもしれません(笑)。とくに大事な試合の前は、LINEが送られてきました。気持ちの整理がつかない場合は私に連絡が来るんです。そういうときは単純に「頑張って!」と伝えるのではなく「何に迷っているの?こうじゃない?」と叱咤激励するんです。すると「ありがとう!ママのおかげで心に火がついた!」と。ただ寄り添ってもらいたいわけではなく、熱い言葉で背中を押し、迷いを吹き飛ばしてほしいんだと思いますね。
── オリンピック前も連絡はありましたか?
真理子さん:東京オリンピックの選考会のときは、まったく連絡がないときがありました。ようやく連絡がきたときは、本当にギリギリで、追いつめられた精神状態になっていて…。状況を客観的にとらえられず、自分の気持ちをコントロールできていなかったんだと思います。そのため団体戦には出場できたものの、シングルスの代表枠を獲得できなかったのかなとも感じています。
でも、その経験が美宇を大きく成長させてくれました。「シングルスに出場するにはどうしたらいいんだろう」と徹底的に考え、「もっと心を強くしないといけない」という答えにたどり着いたようです。自分の弱さを自分で認めることは、簡単なようで一番難しいことだと思います。東京オリンピックを経て急に大人になり、目に見えてしっかりとするようになりました。