パリオリンピックで垣間見えた娘の成長

── パリオリンピックの選考会のときはどんな様子でしたか?

 

真理子さん:とても前向きでしたね。代表を勝ち取るのは平坦な道のりではありません。でも、自分の気持ちにきちんと向き合っている印象でした。大事な試合前も「うまくいかないから、叱咤激励してほしい」と連絡をしてきました。自分の状況を客観的に把握し、気持ちが混乱する前にコントロールできるよう、先手を打てるようになっていました。

 

パリオリンピックの選考が佳境に入るころ、私の叱咤激励も徐々に必要なくなってきました。本人はギリギリのところで戦っていたから、とてもつらいはずなのに「行ってくるね、楽しんでくるね」と、家族のグループLINEにメッセージが届くんです。負けたときも「今回はこういうところがダメだったから、次は見直して頑張る」と、いつも前を向いていました。だから、「今回はどんな結果でも、美宇に心から拍手を贈ろう」と決めていました。

 

── 実際にパリオリンピックのシングルス代表に選ばれたときはいかがでしたか?

 

真理子さん:なんといっても美宇の心の成長がうれしかったです。家族みんなで支え、一緒に戦ってきたつもりだったので、家族みんなで代表枠を手にした気がしました。代表に選ばれるまで弱音を吐かなった美宇が、代表に選ばれてから「支えてくれてありがとう、苦しかったー!」と、家族に本音のメッセージを伝えてくれました。私たち家族も彼女の力になれているのだと感じて、とてもうれしく思いました。

 

平野美宇さんのご家族
パリオリンピックは家族全員で応援に行った

── パリには家族全員で応援しに行ったそうですね。

 

真理子さん:シングルスはメダルにあと一歩届かず、ベスト8で負けてしまいました。でも、とても充実した試合でした。美宇が目標にしていた「最後の1点まであきらめない」姿勢を実践できていたんです。試合後に団体戦を控えていたのですが、メディアの方たちは「シングルスの結果が尾を引いてしまいませんか?」と心配していたようです。でも、私たち家族は「美宇は絶対大丈夫。負けたのはくやしいけれど、気持ちを立て直して団体戦に臨める」と信じていました。実際、団体戦の美宇はとても堂々としていました。

 

結果は銀メダル。東京オリンピックのメダルもうれしかったですが、パリオリンピックは意味が異なりました。美宇がひとりのアスリートとして成長した証に感じられたんです。だからより重く、かけがえのない価値がありました。家族全員で支え、勝ち取ったメダルという感覚があります。

 

PROFILE 平野真理子さん

ひらの・まりこ。平野卓球センター監督。静岡県出身。山梨県在住。特別支援学校、小中学校等に約10 年間勤務。現在は山梨県で平野卓球センターを夫婦で経営。障がいのある人と社会との架け橋になりたいという思いから、インタビューや講演会などにも活動の場を広げている。東京・パリ五輪卓球女子団体銀メダリストの長女美宇、現在学業専念中の次女世和、発達障害があるが勉強と卓球の両立で活躍中の三女亜子の三姉妹の母でもある。自著「美宇は、みう。夢を育て自立を促す子育て日記」を上梓。

 

取材・文/齋田多恵 写真提供/平野真理子