メディアの前で「夢はオリンピックでの金メダル」

── 注目され、悩んでいたとのことですが、転機となったできごとはありますか?

 

真理子さん:ふたつあります。ある大会後のインタビューで「愛ちゃん2世って言われるのはどう?うれしい?」と聞かれたんです。そのときに美宇はムッとした顔をして「美宇はみう!」と言いました。その言葉を聞き、はっとしたんです。「周囲から何を言われようが、美宇らしさを大切にするべきだ」と思いました。

 

幼少期の平野美宇さん
4歳で初めての賞状に大喜び(2004年6月)

そこで、美宇が注目され始めた5歳ころから、ひとつの作戦を立てました。全日本卓球選手権大会で優勝すれば、「愛ちゃん2世」への周囲の期待には応えたことになり、かつ、「勝ちたい」美宇の思いにも応えられます。そのうえで、今後はすべての取材を断ることをメディアの方に伝えようと思ったんです。メディアに取り上げられなければ、美宇は自分のペースで卓球に向き合えるはず。われながら、なんていい作戦だろうと考えていました。

 

小学1年生の7歳のとき、全日本卓球選手権大会・バンビの部で念願の優勝を果たしました。小学1年生での優勝は福原愛選手以来、12年ぶりのことでした。美宇がインタビューに答える隣で、私はセリフまで考えていて「みなさんのおかげでいろんな経験ができました。今後、美宇は卓球を続けるけれど、オリンピックを目指すわけではありません。本当の意味での愛ちゃん2世を探してください。これまでありがとうございました」と言おうと思っていたんです。

 

ところが、美宇が「夢はオリンピックで金メダルを獲ることです」とまさかの宣言!「えっ、そうだったの?オリンピックをめざしていたの!?」と、びっくりしました。綿密に立てていた私の作戦は、もろくも崩れ去りました(笑)。

 

── まさかの展開に驚いたと思います。

 

真理子さん:でも、美宇自身が「夢はオリンピックの金メダル」と言ってくれたおかげで、私も腹をくくれました。彼女の夢をかなえるため、全力でサポートしようと決意しました。

 

小さなころからメディアに注目され悩みもしましたが、美宇にとっては大きな経験をさせていただきました。大きくなって成長してから報道陣に囲まれても、幼いころからそれが当たり前の状況だったので、プレッシャーを感じなかったようです。報道のおかげで応援してくれる方も増え、美宇の背中を押してくれる機会も多かったです。美宇が得たものは大きかったし、いまではメディアの方々に感謝しています。

 

PROFILE 平野真理子さん

ひらの・まりこ。平野卓球センター監督。静岡県出身。山梨県在住。特別支援学校、小中学校等に約10 年間勤務。現在は山梨県で平野卓球センターを夫婦で経営。障がいのある人と社会との架け橋になりたいという思いから、インタビューや講演会などにも活動の場を広げている。東京・パリ五輪卓球女子団体銀メダリストの長女美宇、現在学業専念中の次女世和、発達障害があるが勉強と卓球の両立で活躍中の三女亜子の三姉妹の母でもある。自著「美宇は、みう。夢を育て自立を促す子育て日記」を上梓。

 

取材・文/齋田多恵 写真提供/平野真理子