5歳のころから卓球で頭角を現した平野美宇さんは「愛ちゃん2世」と注目を浴びます。純粋に卓球を楽しむ美宇さんや母の真理子さんにふってわいてきた、世間の目やプレッシャー。そして、母は「愛ちゃん2世」につきまとう事態を打開する作戦を思いつきます。しかし、想像もしない展開が待っていました。(全4回中の1回) 

おとなしい娘が「卓球したい」と自己主張

4歳当時の平野美宇さん
卓球を始めた4歳当時の平野美宇さん

── 今夏のパリ五輪・卓球女子個人でベスト8、団体で銀メダルを獲得した美宇選手が卓球を始めたきっかけを教えてください。

 

真理子さん:以前、私は静岡県で学校教諭として働いていました。夫がふたつ目の大学を卒業し、夫の故郷・山梨県で就職したのを機に家族で一緒に暮らそうと思い、退職しました。教えるのが好きだったから、美宇が3歳のとき、自宅の一室で卓球教室を始めることに。最初は生徒さんに教えている間、美宇は別室にいたんです。半年ほど経ったある日、「ママの卓球教室に入りたい」と私の服をつかみ、泣いてせがんできました。

 

もともと美宇は聞きわけがいい、おとなしいタイプ。ワガママを言うこともほとんどなくて。それが卓球に関してだけ非常に強い自己主張をしたんです。驚くとともに、この子は本気で卓球に取り組みたいんだ、その気持ちにしっかり向き合うべきだと感じましたね。とはいえ当時、卓球教室の生徒は小学生ばかり。3歳半の美宇が一緒に練習するのはほかの生徒の迷惑になりかねません。だから「最初はママと一緒に練習して、みんなの迷惑にならないくらい上手になったら教室に入れてあげるよ」と約束をしました。美宇が「やる!」と即答するので、空き時間に教えることになりました。

 

幼少期の平野美宇さん
2004年4月初旬に行われた3歳でのデビュー戦!

── 小さいころから美宇選手は、卓球に興味を抱いていたんですね。

 

真理子さん:「卓球に興味を抱く」というより、「ママの卓球教室に入りたい」感じだったようですね。ドアの向こうの教室からはポンポンと球を打ち合う、軽快な音が聞こえるし、なんだか楽しそうと感じたようで、卓球を始めればママと一緒にいられると思っていたみたいです。

 

ただ、練習を始めると彼女の集中力と根気に驚かされました。当初は5分程度、ボールとラケットを使い、親子で楽しく遊ぶ感覚だったんです。それが10分、15分と練習時間が長くなっていきました。最初は1~2回しか続かなかったラリーが20回、30回となり、そのうち100回ほど続くように。小学生にひけをとらないくらいの実力がついていると感じて、3歳の終わりから教室に入れることにしました。

「愛ちゃん2世」と呼ばれ母娘で悩むように

── 卓球教室での美宇選手の様子はいかがでしたか?

 

真理子さん:夢中で卓球に取り組み、2時間くらい集中して練習していました。何事もできるようになるまであきらめないし、絶対にやめないんです。この粘り強さは美宇の最大の強みだと思います。あっという間にルールを覚え、サーブも出せるようになったので、3歳の終わりころに大会へ出場もしました。着々と実力をつけ、5歳のときには小さな大会で優勝するようになったんです。そのころからマスコミにも注目され始め、「愛ちゃん2世」と言われるようになりました。

 

── 真理子さんも期待していたのではないでしょうか?

 

真理子さん:いいえ。むしろ「これでいいんだろうか」と、ずっと悩んでいました。美宇にとって、卓球は大好きでかけがえのないもの。最高の自己表現の場でした。でも、本人の気持ちに関係なく「愛ちゃん2世」といった作られた巨像によってこの子が傷ついたりすることがあるのではないか?大切な卓球を辞めることになりかねないのでは?と心配していました。ふだんの美宇はキティちゃんが大好きな穏やかな女の子。卓球に取り組んでいるときの気迫あふれる姿とはギャップがあったんです。

 

本人もまた「愛ちゃん2世」と言われることにとまどいがあったようです。福原愛選手は憧れの存在で大好きだけど、いつも「愛ちゃんについてどう思う?」と聞かれるんです。街を歩いていても「愛ちゃん、頑張って」と声をかけられます。応援されるのはとてもうれしい一方で、本人は「どうして美宇自身のことを聞いてくれないの?」と、言うときもありました。