15歳ころから本格的にスケートをすることに
── その後、日本に帰国してから本格的にスケートを始めたのですか?
村主さん:スケートをはじめて経験したのはアラスカですが、帰国して、6歳から日本でスケートを習い始めました。
── オリンピックレベルになると、毎日、朝練して放課後も練習というスケート漬けの日々を想像しますが…。
村主さん:私の場合は中学校の授業がとても忙しくて、なかなかスケートの練習に行けませんでした。私は宿題より練習を先にしたいのに、母は「学校の宿題が終わっていないから、早く帰って勉強しましょう」と言うので、ずっとケンカしている感じでした。
── スケート第一でなかったとは、意外です。
村主さん:本格的に始めたのは遅めで、国際大会に出始めたのも15~16歳くらいです。世界選手権のジュニア部門でいい成績を収め、全日本選手権で優勝した後に、カナダ人の振付師ローリー・ニコルさんにお願いするようになりました。
── 国際大会にも出て振付も依頼して、となるとお金も時間もかなり費やすことになりそうですが…。年間2000万円と聞いたことがあります。
村主さん:遠征したりする上のレベルになると、それくらいはかかりますね。私の「やりたい」という思いに、両親が何の疑問も持たずに投資してくれたことには本当に感謝しています。妹もスケートを習っていましたし。
── 妹さんもスケーターだったんですね。
村主さん:はい。うちはかなり仲がいいほうだと思います。いまでも、私が日本に帰国したら、妹の家に泊まりますし、甥がひとりでアメリカに来てうちで生活したりして、いまでも仲よくしていますよ。
PROFILE 村主章枝さん
すぐり・ふみえ。幼少期をアラスカで過ごす。計五度に渡る全日本選手権優勝、冬季五輪2大会連続入賞、日本人初となるISUグランプリファイナル優勝、四大陸フィギュアスケート選手権三度の優勝。2014年に引退後、カナダで指導。2019年に映画制作会社を設立し、ラスベガスを拠点に映画プロデューサーとして活躍中。
取材・文/岡本聡子 写真提供/村主章枝、株式会社エアサイド