飲み会などのパフォーマンスで、たくさんの人たちを盛り上げ、一世を風靡した「あやまんJAPAN」。2010年にメディアでブームを起こしたその後も、個人事務所を立ち上げ、約10年間活動を続けています。(全4回中の2回)
倍率は100倍!?オーディションに人が殺到
── あやまんJAPANのメンバーは現在、約50人もいるそうですね。
あやまん監督:そうなんです。基本の中心メンバーは私、たまたまこ、サムギョプサル和田の3人。それに加え、各都道府県にあやまんJAPANのメンバーがひとりずついたら楽しいのではないかと思い、ユースメンバーを募集し始めました。すべての都道府県のメンバーはなかなか集まっていないのですが、新潟、群馬、静岡、京都、大阪、兵庫、広島、沖縄のメンバーが50人ほどいて、まだまだ募集中です。ちなみに、愛知県によく呼ばれるのですが、愛知県のメンバーが不在です!
── テレビで活躍されていたころはもっと人数が少なかった印象でした。もちろん、今とはメンバーも違っていましたよね。
あやまん監督:いろいろあったんですよ…(笑)。
── そもそもあやまんJAPANはどうやって芸能界デビューしたんですか?
あやまん監督:芸能界にデビューしようと思って活動していたわけではなく、気づいたらいつのまにかテレビ出演していたという感じです(笑)。そもそも、始まりはただの素人の酔っ払い集団でしたから。あやまんJAPANの誕生は2009年ごろ。当時、私がイベントコンパニオンの仕事をしていたのですが、その帰りに六本木で飲み会をするのが恒例でした。ちょうどサッカーワールドカップ南アフリカ大会の前で、監督の名前にちなんだ「岡田JAPAN」という名称が話題に。それを真似して飲み会をするメンバーたちと自分たちのことを、「あやまんJAPAN」と名乗るようになりました。
── そこからメディアに出るように?
あやまん監督:毎晩のように飲んでいたら人脈が徐々に広がっていき、テレビ局の方が「おもしろい子たちがいるんだよ」とおぎやはぎの矢作さんを連れてきてくれたり、氣志團の綾小路翔さんが経営しているバーに行ったり、サッカー解説者の方にとんねるずの木梨さんを紹介してもらったりしたことがありました。そうしている間に「六本木におもしろい子たちがいるらしい」と話題になり、2010年にテレビ番組『とんねるずのみなさんのおかげでした』に出演させてもらえることになったんです。
── 当時のメンバーは…?
あやまん監督:私と、今は辞めてしまったファンタジスタさくらだ、ルーキタエでした。メディア出演した後に、大人気のメンバー・ファンタジスタさくらだが結婚、妊娠のため2013年に引退することになり、それで新メンバーオーディションを開催することにしたんです。オーディションには300人ほどの応募があり、たまたまことサムギョプサル和田、今は卒業してしまった、めんそ〜れ愛菜の3人を選びました。
── すごい倍率ですね!あやまんJAPANの人気たるや。たまたまこさんとサムギョプサル和田さんを選んだ理由はなんだったのでしょうか?
あやまん監督:和田は飲み会での爆発力がすごかったですね。辞めてしまったファンタジスタさくらだと同じタイプで、明るく人から好かれる力や会話術に素晴らしいものを感じました。たまこは加入したのが23歳くらい。オーディションのために一生懸命準備する姿がよかったです。あとは顔の小ささも決め手になりました(笑)。
── お二人はなぜオーディションに応募を?
たまたまこさん:私はそれまではひとりで六本木を飲み歩いていたのですが、その募集を見て、下ネタ好きのあやまんJAPANが当時の私には合っていると思い、応募しました。実際に入ってみたら自分に合っていると実感。盛り上げ方など、きちんと戦略的に考えながら活動していることがわかって感心しました。
サムギョプサル和田さん:私はオーディションの少し前に友人経由であやまん監督と知り合いました。当時、私は韓国のアイドル・BIGBANGにハマっていて、そのダンスや歌を飲み会で披露したところ、同じくファンだったあやまん監督と意気投合。そこから何回かいっしょに飲み会をして、その後オーディションを経て正式なメンバーになりました。
実は、テレビであやまんJAPANがブレイクしていたのが、ちょうど私が大学生のころ。飲み歩いていた私は、テレビ越しに密かに「負けられない」というライバル心を持っていたんです。なので、加入できたときはうれしかったですね。