お笑い芸人として活躍するスギちゃんは、小学3年生の健康診断で生まれつき心臓に穴が開いていたことが発覚。半年間の入院を余儀なくされました。入院中、父が持ってきてくれた漫才のカセットテープを聞いて過ごしたことが、お笑い芸人になる原点だったと振り返ります。(全4回中の1回)

小3で心臓に穴「手術しなければ20歳まで生きられないと」

小学生のころのスギちゃん
小学生のころのスギちゃん

── 小学3年生のころに半年間学校を休んで入院したと伺いました。

 

スギちゃん:そうなんです。小学生まで健康に育っていたんですけど、3年生の健康診断の心電図検査で引っかかったんですよね。波形に乱れがある、なんだこれは、と。「病院で精密検査をしてください」って言われて。

 

それで母と病院に行ったら、心臓に穴が開いている、とわかって。そこからは3か月くらいは、頻繁に学校を休んで大きい病院に行って、いろいろ検査やりましたね。耳を切ってどれくらい血が流れるか検査をしたり、足のつけ根を切って管を通してカメラを入れたりしたのが、めちゃくちゃ痛かったのを覚えています。

 

── つらい経験でしたね。

 

スギちゃん:そうですね。その時点でもう病院がイヤになってました。その病気自体は100人に1人くらいに見つかるらしく、手術は99%と成功すると説明されました。ただ、手術しないと20歳までは生きられないそうで。それで手術をすることになったんですが、やっぱり怖かったですね、正直。初めての手術だったし、心細かったです。

 

── 病気がわかるまでは、元気に過ごしていたんでしょうか。

 

スギちゃん:元気でした。全然運動してたし、走り回っても苦しいと思うこともなかったんです。

 

でも、いざ点滴されて、手術室に行くときのことは、忘れられないっすね。手術室の上にでかいライトがあって、横には機材もメスとかも置いてあって「これからとんでもないことが起こるんじゃないか」ってめちゃくちゃ怖かったですね。

 

全身麻酔だったから手術中は寝てるだけでしたけど、手術が終わって麻酔が切れた後は痛かったですよね。痛くて母ちゃんに「さすってくれ、さすってくれ」って言った記憶がありますね。後から聞いたんですけど、手術中、母ちゃんは泣いていたらしいです。

入院中は漫才のテープを何度も聴いて

幼少期のスギちゃん
幼少期のスギちゃんとお母さま

── そんなつらい経験をしたのに、お笑い芸人ポジティブな笑いの道にどう進んでいけたんでしょうか。

 

スギちゃん:性格的にもともと明るかったのもあるんですけど、そのときの入院が予想外に長引いてヒマだったんです。最初は数週間で退院できる予定だったんすよ。でも、手術したことで肝臓の数値が上がってしまって、それを下げなきゃいかんということで、半年ぐらい入院しました。

 

自由な時間がたっぷりあったので、漫才のテープを何度も聴いて。そこから「自分もお笑い芸人になりたい」という思いが芽生え始めたんです。当時からお笑いを見るのは好きだったんで、親父が漫才を放送していているテレビ番組を、カセットテープに録音して持ってきてくれたんですよね。そこからどっぷりお笑いにハマっていった感じですね。

 

── 入院がきっかけだったんですね。

 

スギちゃん:もともとお笑いには多少興味はあって、正月に「なんばグランド花月」に家族で行って「カッコいい世界だな」とは思っていたんです。一度、客席の子どもが舞台に上げてもらえてトランポリンに乗れるっていうコーナーがあって。「やりたい人」って言われて、俺、手をあげたんですよね。

 

そしたら、トランポリンに脚がはまっちゃって、それで観客が笑ったんですよね。それが気持ちよかった、っていう思いもありました。その後、入院生活を経て、芸人になりたい思いが決定的になった感じですね。

 

退院後にまた「なんばグランド花月」に行ったら、グッズの売り場にたまたま「芸人になるための道」みたいな本が売ってたですよ。それを買って、卒業文書にもその本を抜粋して「お笑い芸人になるためには」みたいに自分の夢を書いてましたね。