グラビアアイドルとして活躍し、現在は会社経営をしながら11歳の女の子を育てる小島可奈子さん。自閉スペクトラム症とADHDと診断された娘さんの子育てについてお話を伺いました。(全3回中の1回)
優先すべきは「娘が過ごしやすい環境」
── 娘さんが自閉スペクトラム症、ADHA(注意欠陥・多動性障害)と診断されるまでの経緯を教えてください。
小島さん:娘が生後半年ごろに、動いているものを目で追う「追視検査」をしたんです。そのときに医師から娘が目でものを追いかけておらず、発達障害の疑いがあるかもしれないと言われました。とはいえ、まだ生後半年。まだまだ判断がつかないので、しばらくは定期検査を受けつつ経過観察することにしました。
その後も歩き出したのが2歳ごろで、周りのお子さんよりも遅かったですね。でも、子どもによって成長スピードはそれぞれだと思っていたので、私も夫も両親も深刻にとらえることなく、むしろあまり気にしていませんでした。たとえ、もし発達に遅れがあったとしても、もはやその事実は変えることはできないのですから、変えることのできない部分は、それを受け入れて生きていくしかないと。夫婦で子どもに「普通」を求めていたわけではなかったので、ピリピリせずにおおらかに子育てをしていたと思います。
そうしているうちに小学校入学の時期を迎え、入学前の就学時健康診断で発達検査を受けることになりました。
── 検査の結果を踏まえて、小学校では特別支援クラスを選択したそうですね。
小島さん:そうです。検査結果は平均より1点下で、発達障害かどうかはグレーゾーンでした。そのため、担当医師には「強制ではないが、特別支援クラスへ進学するのがいいのではないか」とアドバイスを受けました。最終的に決めるのは親なので、どうしようかと悩みました。クラス選びでいちばん大切にしたのは「娘がどのような環境であれば過ごしやすいか」ということ。義母は「将来を考えると普通のクラスでもいいのでは」と言ってくれたのですが、「動き回ることの多い娘には生徒8人以下に対して1名の教師がついてくれる特別支援クラスのほうがいいのでは」と。勉強がわからないときも、そのほうが自分のペースで学べるのはないかと考え、特別支援クラスを選択しました。夫も私の意見に賛成してくれました。
学校以外の選択肢もあると教えるように
── 実際に特別支援クラスに入ってみて、いかがでしたか?
小島さん:授業参観などを通して娘が学校で過ごす姿を見ると、正解だったと思っています。特に参加日は私が観に来たことで娘がいつも以上に大騒ぎするため、普通のクラスでは大変なこともあったかもしれないと思います。
特別支援クラスの授業だけでなく、一部は通常のクラスでも授業を受けています。学校には特別支援クラスで教えるための勉強をしてきた先生も在籍されていて、娘に合った教え方をしてくださるのもありがたいです。環境に恵まれていると思います。
── 大変だったことはありますか?
小島さん:小学校4年生のときに、一時期学校に行けなくなったことがありました。その直前に、娘に夢遊病の症状が出始めたんです。夜中に起きてうろうろしたり震えたりするのですが、朝になると覚えていない。病院で診てもらったところ、子どもにはたまに起こることのようなのですが、ストレスが原因ではないかと言われました。
娘にいろいろと話を聞いてみたら、先生たちが娘のためを思い一生懸命指導してくださっていたのですが、それに応えようと娘が少し頑張りすぎてしまっていたことがわかりました。みんなが自分のことを思ってやってくださっている行動だと娘もわかっていたので、つらいことをなかなか言い出せなかったようです。私も娘にそのような繊細な部分があるとは気づけていませんでした。
それで学校とも相談して、特別支援クラスだけでなく学校にたくさん居場所をつくってもらうようにしたんです。ひとつの場所で無理をしすぎずに、週に一度はスクールカウンセラーと話をしたり、大好きな校長先生に会いたいときに会いに行けるようにしてもらったり、保健室で休憩させていただいたり。そのおかげで今は元気に通えています。
── それはとても大変でしたね。
小島さん:そうですね。ただ、私も小学校のときにいじめられて学校に行きたくない時期があったんです。そういう「壁にぶち当たること」って、生きていれば誰しもが通る道なのかなと思うんです。ただ、そんなときに大切なのは、娘が追いつめられないようにすることだなと。いざとなれば家庭教師やフリースクール、他の学区の小学校など、今の学校以外にも学ぶことができる場所はたくさんあるからね、ということは娘に話しました。小学生は「学校が人生のすべて」と思っていると思いますから、人生の選択肢のカードをたくさん持っていたほうがいい。娘も安心して通えると思ったんです。