自称「尻職人」のグラビアアイドル・倉持由香さん。多いときは毎日5分おきに、お尻の自画撮り画像をSNSにアップし続けてきた先には、どうしても成し遂げたい目標がありました。(全3回中の1回)
「よし!小さな『尻の山』を作ろう」
── グラビアの世界に入られたのはどうしてですか?
倉持さん:芸能界には、女優やアイドルになるためのワンステップとして選ぶ方も多いんですけど、私は最初から「グラビアアイドルになりたい!」と思っていました。コンビニの雑誌コーナーに並んでいる雑誌の表紙を飾りたかったんです。
小さいころからなぜか女性の体が好きで。恋愛対象は男性なんですけど、筋肉隆々の肉体より、胸のふくらみやウエストのキュッとしたくびれ、お尻の丸みに魅力を感じるんですよね。アニメの『キューティーハニー』とか『セーラームーン』を録画して、着替えのシーンを何度も観ては絵を描いていました。竹やぶに落ちているセクシーな雑誌を男の子と一緒に探して、濡れたページをペリペリ慎重に剥がしながら「おお~っ!」って興奮していました(笑)。
13歳のときに事務所に入ったので、今年でデビュー20周年になります。でも最初は全然、表に出られなくて、セミより長く地中にいました(笑)。20歳のときに今の事務所に移って、少しずつ仕事をさせてもらうようになりました。
── 美しいお尻をアピールされるようになったきっかけは。
倉持さん:なかなか表に出られなくて悩んでいたころ、あるカメラマンさんに言われたんです。「もっちーは、その大きなお尻を生かさないと。隠していたら、ただのムダ尻だよ」って(笑)。そのころの私は、お尻が大きいことがコンプレックスでした。90センチ以上あるのに、「逆サバ」を読んで「87センチ」と言っていたくらい。そうしたら、「グラビアアイドルは、コンプレックスを武器にしなきゃ。ほかの人と違うからこそ武器になるんだよ、ほかの人と同じなら埋もれちゃうでしょ」と言われて。
当時のグラビア界はいわゆる「童顔巨乳」が大人気だったんです。篠崎愛さんが頂点に君臨する山があって、そこを目指して大勢のグラドルが山道を登っていました。私は長年、樹海をさまよって、ようやく5合目くらいまで来たけれど、繁忙期の富士山みたいにその先の道はずっと埋まっているんです。そこへ、大手事務所のアイドルの方なんかは、ヘリでスーッと頂上に降り立っていくので、「こりゃだめだ…」という感じでしたね。
それで「よし、私は尻でいこう!」と。グラビアアイドルの「王道の山」の頂上に行けないなら、その近くに小さな「尻の山」を作ろう。「尻の山」は「胸の山」に比べたら小さいかもしれないけれど、頂点に立ったらメディアが気づいてくれるかもしれない。そのことに気づいてからは、お尻の自画撮り画像をSNSに毎日、多いときは5分に1回上げ続けました。「単純接触効果」といって、接触の機会が増えると好感度が増すという理論があるので、「みなさんのタイムラインを尻で埋め尽くそう!」と(笑)。そうしたら、3000人だったフォロワー数が1か月で1万人を超えて、その年の終わりには3万人になったんです。
── すごい!狙いどおりですね。
倉持さん:「これはグラドルが知名度を上げるのに効果がある」と思ったので、ほかのグラドルさんたちもセクシーな自画撮りを載せるときに使えるように「#グラドル自画撮り部」というハッシュタグを作りました。本人にとっては知名度を上げられるし、ファンの方は新たな推し探しができるし、メディアの方は新たなグラドルを見つけやすくて、win-win-winじゃないかと思って始めたんですよね。
当時のマネージャーさんからは「商品である写真を自画撮りで切り売りしたら、価値がなくなるからやめてくれ」と言われたんですけど、当時はAKBさんをはじめとするグループアイドルの全盛期で、グラビアアイドルにとっては氷河期。「パイが小さい状況でもったいぶっても、パイがより縮小するだけ。ここはティッシュ配りの要領で尻を配ったほうが、より多くの人に知ってもらえるし、グラビアに興味のない方にも興味を持ってもらえるかもしれないじゃないですか!」とプレゼンして、みなさんに尻を届ける「尻職人」として、自画撮りをアップし続けました。
その後に出したイメージDVDがAmazonランキングで1位を獲得して、「ほら!効果があります!」と数字でマネージャーさんを説得することには成功しました。ですが、私の一番の目標にはまだまだ遠かったですね。