80年代を彩った大映ドラマの数々に出演した伊藤かずえさん。6歳から劇団に入り芸能界で長く活躍が続くも、ドラマ初主演後には将来への不安感にさいなまれます。(全4回中の1回)
「あの不良の人だ!」と呼ばれて
──『不良少女とよばれて』『ポニーテールはふり向かない』『スクール☆ウォーズ』を始め、80年代を彩った大映ドラマに欠かせない存在でした。振り返って当時はどんな時代でしたか?
伊藤さん:通常、ドラマはひとつの作品につき10~12話分を撮影し3か月間放映されますが、当時の大映ドラマは24話分撮影し半年間の放映。フィルムで1カットずつ撮っていくので、撮影にもかなり時間がかかるんです。しかも、半年に一度、次の作品の撮影と重なる時期があって、そのときが忙しさのピーク。物語の冒頭と終盤は、自己紹介的なセリフが多かったり、見せ場のアクションシーンがあったりと、重要な場面が多く、すごく大変だったことを覚えています。朝6時に起き、帰宅は深夜。家から撮影所まで片道2時間かかっていたので睡眠時間がたりず、移動中はずっと寝ていましたね。
── かなりハードなスケジュールだったのですね。
伊藤さん:ただ、出演者やスタッフさんは気心が知れたメンバーばかりだったので、みんなが親戚のような感じで、現場の雰囲気はすごく温かったですね。それに、鬼のようなスケジュールを乗り超えてきたおかげで、その後、どんなハードな現場に遭遇しても、「あのときほど大変じゃないな」と思えるくらい忍耐力が身につきました。
── もともと子役出身ですから、キャリアはすでに50年になるのですね。
伊藤さん:6歳のときに児童劇団に入りましたが、なかなかオーディションに受からず、エキストラばかり。その後、10歳のときにスカウトされ、映画でデビュー。中学時代に、『水戸黄門』に出演したり、映画『燃える勇者』で真田広之さんのヒロイン役に抜擢されたりして、名前がだんだん知られるようになったんです。実は、アイドルデビューもしていて、中森明菜ちゃんや小泉今日子ちゃん、早見優ちゃんと同期なんです。小室哲哉さんに楽曲をいただいたことも。残念ながら、歌手としては、まったく売れませんでしたが、ドラマの影響で握手会などのイベントは毎回超満員。池袋のサンシャイン広場でイベントをしたときには、「こんなに人が集まったのは中森明菜さん以来だ」とスタッフさんに驚かれました。ただ、皆さん歌を聴きに来るのではなく、「あの不良役の人だ!」と見に来てくださる感じでしたけれど(笑)。
── 歌はもう歌われないのですか?復活ライブとか。
伊藤さん:いえ、カラオケボックスで歌っているほうが気がラクです(笑)。
── 当時の大映ドラマは、物語の展開やセリフなどが独特で、「クセの強さ」が魅力でした。
伊藤さん:話が奇想天外というか、まるで漫画のような展開で台本を読んでいてもおもしろかったですね。セリフも「印象に残るけど、普段使わないでしょ!?」という、突拍子のないものが多くて(笑)。『スクール☆ウォーズ』では、「馬上から失礼します」と馬に乗って登場。『不良少女と呼ばれて』で、いとうまい子ちゃんとケンカをするシーンでは、「生き残ったほうが、くたばったやつの骨壺を蹴飛ばすまでさ!」というセリフなどもありました。
── なんて罰当たりな(笑)。演じるときに思わず笑いそうになったりしないのですか?
伊藤さん:なりますよ。ただ、当時はフィルム撮影で、撮り直しをするにもお金がかかるので、NGを出すとめちゃめちゃ怒られました(笑)。だから、台本を読んで笑っちゃいそうなセリフは、あらかじめ思いっきり笑い倒しておいて、気持ちを落ち着かせてから、撮影に臨んでいました(笑)。
── 見えないご苦労があったのですね。
伊藤さん:19歳のときに、『ポニーテールはふり向かない』で初めて主演を務めさせていただいたのですが、実をいうと、本当は『ヤヌスの鏡』がやりたかったんです。