30歳前後になると、友人から「転職した」「海外で働くことにした」といった声を聞く機会が増えるかもしれません。そして、はたと自分はどうあるべきか?と考えてしまう。『ミヤネ屋』でMCを務めていた川田裕美さんにも、そんな転機が訪れたといいます。(全4回中の1回)
きっかけはやっぱり宮根さんだった
── 読売テレビの局アナ時代に『情報ライブ ミヤネ屋』で注目を集め、フリーに転身されました。もともと将来はフリーになろう、東京へ行こうという意志があったのでしょうか?
川田さん:フリーになろうという気持ちはなかったですね。読売テレビの大阪本社で働いていましたが、私自身大阪で生まれて、親族はみんな大阪にいるので。関西から出ようとか、会社を辞めようとは、まったく思わずにずっと過ごしていました。ただ30歳前後になると、友人がワーキング・ホリデーで海外に行ったり、転職したりと働き方を変えだして、何か違う働き方があるのでは?と私も思うようになりました。
ただ、よくよく思い返してみると、フリーになったきかっけはやっぱり、宮根誠司さんだったと思います。『情報ライブ ミヤネ屋』は毎日、同じルーティンなのに内容は違う。放送中ですらどんどん変わっていくんですよ。宮根さんも局アナからフリーに転向された方ですが、ご自身が立ち止まっていないというか、新しいものをつねに吸収し続けようとしているんです。
プライベートを楽しむことも全力。だから、大好きなプロレスを見るだけじゃなく、自分でやると言い出して。体を鍛えるなど、仕事と同じくらいの熱量をかけて挑戦する。その姿勢に「私は本当に全力で頑張っているのだろうか。奮起して新しい挑戦をしてみるのもいいのではないか」と、思うようになりました。アナウンサーを辞めることも考えてはみましたが、自分が本当にやりたいのはこの仕事だなと改めて思って。それならフィールドを変えてみるのはどうだろう、という気持ちがわいてフリーになろうと決意しました。
── フリーになること、東京へ行くことに、ためらいや怖さはなかったですか?
川田さん:局アナを辞める前に、最悪のケースを想像してみたんです。フリーになっても所属事務所が決まらない、決まっても仕事がない、友だちもいない東京でやっていけないとなったらどうしよう、と。それでも挑戦したいのか自分に問いかけました。そして、親に相談したら「東京でやっていけなくなったら実家に帰っておいで」と言ってくれて。その安心感があったから、なんとか踏み出せた気がします。
『踊る!さんま御殿‼️』で自分のトークがカットされ
── フリーになって、仕事は順調でしたか?
川田さん:全然です。ゼロからのスタートで、最初はかなり少なかったです。局を辞めた後の仕事も決まっている状態が本当は安心ですが、会社に対して義理を果たしたい気持ちがあったので、白紙の状態で退職しました。
実際フリーになって感じたのは「ひとりになったんだな」ということ。仕事内容はそんなに大きく変わらなくても、局アナ時代は会社があって、アナウンス部という部署があって、仲間や先輩、後輩がいて、自分の居場所があった。こちらが聞かなくても先輩が教えてくれたりもしたし、大きなものに守られていた。何よりひとつの番組が終わっても、次の番組が用意されていた。それがどれだけありがたかったか、身にしみて感じました。
でも、しかたないですよね、自分が選んだことだから。フリーになって最初に決まったのはテレビの仕事がひとつ。古巣の読売テレビの番組でした。そこからはもう必死でした。一つひとつの現場を大切にして、仕事が徐々に増えていった感じです。
── 次の仕事につなげるために、大切にしたことは何でしょう。
川田さん:とにかく正直でいようと、自分をムリに大きく見せずにいようと務めました。恥ずかしさを捨てて、わからないことはわからないと素直に言う。あとは、人にたくさん聞きましたね。フリーになった先輩はもちろん、芸人さんなど、ジャンルが違う方にも「こういうときはどうしたらいいですか?」と、聞くようにしていました。すごく衝撃だったのが、宮根さんからもらった「強烈な情熱がないとこの仕事は続けられないよ」という言葉。宮根さんはふだん、そういうことを言わない方です。その言葉自体にご自身が相当な努力をされてきたんだなというのが感じられて。そうか、そういう気持ちがないといけないんだと、身が引き締まる思いでしたし、自分に問う機会にもなりました。
── フリーになってからいろいろな経験をされるなかで、特に記憶に残っていることはありますか?
川田さん:初めて『踊る!さんま御殿!!』に出演したときのことです。放映で自分のトークが使われなかったんです。オンエアされた番組では、私はただそこに座っているだけ。後日、先輩に相談したら「この番組はチームワークなんだよ」と言われて。えっ!と思いました。ひとりずつエピソードを話すので、完全に個人戦だと思っていました。
でも、実際はほかの誰かが話したことをいかにみんながサポートできるかが大切で、チームで番組が成り立っているのだ、と。そこで「自分が、自分が」となってしまうと、空気を壊してしまうことにもなりかねません。それに早い段階で気づかせてもらえたのはよかったなと思います。それからは仕事をするたびに、本当に求められていることができているだろうか?という振り返りの時間が増えました。
── 今年でフリーになって10年の節目を迎えます。10年かけて川田さんが気づいたものとは?
川田さん:やっぱり目には見えない小さな、小さな積み重ねしかない、ということでしょうか。自分が大切に思う人や「この人すごいな」って思う人がいたら、その人の話を本当に真摯に聞く。そしてすごいところを取り入れ、まずはやってみる。そのなかで、これは自分に合うなとか、そうじゃないなというものがわかってくる。そうしていままでやってきたことを、嘘なく正直に積み上げていき、自信に変える。そういうことをこの10年でちょっとずつ学んできたような気がします。
PROFILE 川田裕美さん
かわた・ひろみ。1983年生まれ、大阪府出身。和歌山大学経済学部卒。2006年読売テレビ入社。アナウンサーとして活躍し、『情報ライブ ミヤネ屋』で注目を集める。2015年読売テレビを退社し、フリーに転身。現在日本テレビ『ヒルナンデス!』水曜レギュラー、日本テレビ『1周回って知らない話』、読売テレビ『ピーチCAFE』ほか出演中
取材・文/小野寺悦子 写真提供/セント・フォース