パリのファッションブランド「メゾン キツネ」が経営するカフェで、いまも現役で働く看板マダム・石井庸子さん(82)。そのおしゃれな着こなしやライフスタイルが話題となり、You Tubeや雑誌で人気に。そんな石井さんの半生は書籍『パリに暮らす日本人マダムの「手放す幸せ」の見つけ方』でも紹介されました。50年前、パリで暮らすようになったきっかけやYouTubeで人気となった今の気持ちをお聞きしました。

82歳の今も「自分らしさを追求できる毎日が楽しい」

石井庸子さん
カウンターでコーヒーを淹れたり、掃除をしたり。機敏に働く姿が頼もしい

パリの「カフェ キツネ ルーブル」の看板マダムとしてその名を馳せる石井庸子さん。旧姓がナミカタさんだったため「ナミさん」の愛称で親しまれています。いつも元気な石井さんは、手際よくお客さんの注文を取り、コーヒーを入れ、オーダーの品をサーヴしていきます。

 

今年で82歳。日本では、同世代の多くの女性は、ゆっくりと暮らしている人が多い年代ですが、石井さんは50年前に日本を飛び出し、はるか遠いフランスの地で働き続けています。そんな石井さんの姿をYouTubeや雑誌で目にした女性たちが、パリを訪れた際に、「カフェ キツネ ルーブル」にやってきます。

 

「たいていの人って、YouTubeではわざわざきれいな服に着替えたり、上品に話したりするでしょう?でも、私ったら口が悪いから、普段とまったく変わりなく、なんでもつい正直にぽんぽんと言っちゃうわけ。だけど、そんなところがむしろおもしろいんですって」

 

もちろん、決して口が悪いなどということはなく、気取らず飾らずフランクな性格が、なんとも居心地のいい雰囲気をつくっているのです。

 

石井庸子さんと「カフェ キツネ ルーブル」のスタッフたち
カフェのスタッフたちと。パリに住む常連客たち、日本からやってきた初めて会うお客さんとも話が弾む

父が決めた婚約者との縁談から逃れるため愛車を売り単身パリへ

石井さんがパリを最初に訪れたのは、1969年。デザイナーの水野正夫さんからのアドバイスによるものでした。

 

「私の父は東京で生地屋を経営していて、母は裁縫が得意でした。だから、洋服が好きな私はいつも、自分がほしいと思った服の絵を描いては母に手渡して縫ってもらっていたんです。そんな私を見て、父は服飾の専門学校に行かせたかったようですが、私はモデルになりたくて、モデルの養成学校に進学しました」

 

その在学中に、水野正夫さんの手がけたオートクチュールドレスの仮縫いのフィッティングモデルを務めることになりました。そのころ、水野さんに「一度パリに行って、サンジェルマン・デ・プレのカフェテラスに座って、街行く人々を眺めてごらん」と声をかけられ、石井さんはパリへ旅立ちます。

 

「実際に行ってみて、パリの街並みを行き交うパリジェンヌたちは誰もがみんな、自分の好きな服を着てさっそうと歩いていた。そんな姿を目にして『あぁ、やっぱりセンスにあふれているんだなぁ、歴史がある街なんだなぁ』って感動したんです」

 

それから約4年後の1973年のある日、パリでバーを営んでいた日本人の友達から「ナミ、手伝いに来てくれない?」と、相談の連絡が。

 

「当時、私には父が決めた婚約者がいて、その人と結婚してアメリカに一緒に行くことになっていた。彼は家柄もよくてお金持ちのエリート。でも、どうしてもその人と結婚するのは無理だと感じてしまっていて…。だから、縁談を断ってほしいと両親に懇願したんですけど、聞き入れてくれず。そこで、思いきって愛車を売ったお金を手にし、パリへと飛び発ちました。 友達のバーで働けるとはいえ、もちろん最初はまったくフランス語はできなかった。でも、アパートは優しい友達が貸してくれたし、フランス語の先生も紹介してくれて。とっても恵まれていたんですよね」