プロレスラー引退後のセカンドキャリアとして赤井沙希さんが選んだのは、エステサロンの経営でした。現役時代から専門学校に入学。人を癒す勉強をした直後に、プロレスでリングコーナーから飛んで相手を殴る蹴るという慌ただしい毎日で── 。(全3回中の2回)
エステサロンは「魂の洗濯」ができる場所だった
── プロレスラー引退後はエステサロンの経営を始めました。セカンドキャリアに美容を選んだ理由を教えてください。
赤井さん:幼いころ、母親に連れられて行った百貨店1階の化粧品売り場の香りが好きだったんです。美容部員のお姉さんもピシッとかっこよくて。美容のお仕事はちっちゃいころからしたくて、中学時代の将来の夢は美容部員。中学のときにスカウトされて、その夢は叶わず。「美容の仕事は来世でするしかないか」って諦めていたんです。それが、コロナのときにめちゃくちゃ肌荒れをしてしまって。吹き出物ってひとつでもできるとテンションが下がりますよね。肌の悩みを持つ男性プロレスラーも知っていたし、肌が整うと心が整うことを知ってほしくて、美容の世界に足を踏み入れようと決意しました。
── 知名度のある赤井さんなら美容家などの道もあったと思います。エステサロンを選んだ理由は?
赤井さん:個人的に、疲れたらエステサロンによく行っていて。リラックスして、「魂の洗濯」をしていたんですよね。そこから一生懸命働いている人の隠れ家や避難所みたいな場所を作りたい、とエステサロンに決めました。ただ、今は芸能やDDT(赤井さんが所属していたプロレス団体)の裏方の仕事をしていることもあって、就職するのは難しいので、開業を目標にしました。エステサロンって資格がなくても開業できるんです。でもプロレスラーでタレントの赤井沙希がエステサロンを始めたところで、誰も信用してくれない。国際ライセンスの資格を取得して、いちエステティシャンとして信用を得るため、プロレスラー時代から美容専門学校に通っていました。
── プロレス、芸能界の仕事だけでも忙しいのに、通学も加わったらかなり大変じゃなかったですか?
赤井さん:プロレスや芸能のお仕事が疎かになっていると思われるのは絶対嫌だったんで、通学していることはプロレスラー仲間に秘密にしていていました。週4日ほど通学していましたが、かなり大変でした。午前中は授業に出て、昼間に抜けてプロレスの会見でメンチを切って煽り合いをしてから、学校に戻ったり。学校ではリラクゼーションミュージックをかけて、アロマのいい香りに包まれながら人を癒やす勉強をしていたのに、直後にリングのコーナーから飛んで殴り殴られですよ。「人を癒す手で殴って、いいのか」と考えたりしました(笑)。
同級生は私がプロレスラーなのを知らなかったんですよ。生徒同士で施術し合う授業で、私の胸に試合で受けた男性プロレスラーの手形がくっきりついていて、戸惑わせたことがありました。「転んだ」ってごまかしましたけど(笑)。
── 現役中に通学されたのはなぜですか?
赤井さん:引退後に勉強を始めたのでは遅いと思っていたんです。
── それは現役中に次の道を見つけて、美しくプロレスラーを引退したかったからですか?
赤井さん:いえ。サウナ好きの後輩に刺激されたんですよ。彼はサウナが大好きすぎて、プロレスラーをしながら千葉でサウナを経営しています。サウナを始めてから選手としてさらに伸びて、すごくかっこいいなと思って。後輩の影響が大きいですね。時間がもったいないし、今が一番若いから、したいと思ったら他人に迷惑かけないように状況を整えてやっちゃった方がいいって考えなんです、私。それにプロレスと芸能の仕事だけなんて、守りに入りすぎだからもっと攻めないと、と焦っていました。
── プロレスと芸能だけでも十分攻めています!日本人はひとつの道を極めるのが好きな人が多いです。掛け持ちをすることで何か言われる原因になるかも、という不安はありませんでしたか?
赤井さん:芸能とプロレスをしているだけでも、ちゃんと本業をやれと言われていました。私にとってはどちらも本業で、両方とも本気で取り組んでいました。私はマルチタスクの方が安心できるタイプなんです。もちろん、全部片足突っ込んでいるだけはよくないですけど、私は全部に魂を注いでいますから。