テレビデビューは幼少期から
── 芸能の仕事を始めたのはいつからでしたか。
慶太さん:小さいころに『おかあさんといっしょ』に出たり、双子や三つ子が出るタモリさんの番組に出たりしたことはありました。そこから数年はテレビに出る機会がなくなって、また久々に出たいねというような話から事務所に応募して中学1年で芸能界に入りました。
でも僕は、部活の部長をしていたので、ドラマ『キッズ・ウォー』への出演が決まったとき、最初は祥太から本格的に芸能活動を始めました。ふたりとも役者になりたいとか、映画俳優になりたいというのはなくて、漠然にテレビに出たいというところから始まって、いろんな作品に出させてもらいました。
── テレビやドラマが高い視聴率がとれる時代に、おふたりとも大活躍されていました。
慶太さん:当時はSNSがなかったので、芸能界や芸能人って神秘性がありましたよね。今はそれそれが個人として繋がれる時代といいますか。距離感はSNSの怖いところではあると思うんですけど、これはこれでひとつの形かなと思いますね。
── 芸能界の仕事が今に活きていることはありますか。
慶太さん:職種が全然違うので、直接役に立っていることって本当にないんですよ。でも、芸能でしか味わえないいい経験といいますか、普通の仕事ではできないことをさせてもらったなと思いますね。
祥太さん:ドラマ『3年B組金八先生』に出させてもらっていたころはすごく忙しくて。振り返ってみても過酷な生活をしていたなと思います。でも、そのおかげで今は多少のことでは動じなくなりました。「あのときの方が大変だった」と思うと、つらさを我慢できるようになったといいますか。慶太と同じで、仕事そのものが役に立っているというよりも、精神的な部分で芸能界を通して強くなれた部分はあるのかなと思いますね。
慶太さん:撮影は朝暗いうちからスタートして、太陽が沈んでから夜中までかかることも普通にありました。忙しさのあまり昔は適当にセリフを言ったり、居眠りをしていたりしたこともあったんですけど、今はもう絶対にそんなことはしないです。仕事はすべて真剣に取り組んでいるので、その意味ではだいぶ変わりました。
今はふたりとも家庭があって子どももいるので、芸能の仕事1本というのはそれなりの覚悟がないとできません。やっぱり芸能界は保障がないし、1年後にどうなっているかもわからない世界。手に職をつけた今は、芸能の仕事をするうえでも心の余裕ができました。責任感も昔より強くなったと思います。
PROFILE 斉藤祥太さん・慶太さん
さいとうしょうた・けいた。1985年生まれ、神奈川県出身。山形県金山町観光大使。44プロダクション所属。ドラマ『キッズ・ウォー』、『ホットマン』などヒット作への出演のほか、『王様のブランチ』レギュラー、映画『タッチ』では双子の兄弟として主演を果たす。現在は俳優業と並行して職人としても働く。
取材・文/内橋明日香 写真提供/斉藤祥太・慶太