いまでは誰もが知るイリュージョニスト・プリンセス天功さん。実は3歳から芸能活動を始め、あの昭和の怪物番組にも出演していたそう。しかし、16歳でマジックを始めたのを機に、人生が大きく動き出します── 。(全5回中の1回)

3歳からモデルを始めて 

プリンセス天功
ステージ写真(2022年)

── 世界的なイリュージョニストとして活躍されている天功さんですが、もともと小さいころからキッズモデルとして活躍していらしたとか。

 

天功さん:3歳のころからモデルとして芸能活動をしていたんです。母が、洋裁・和裁の先生をしていた関係で、『装苑』に子どもモデルとして出たり、ティーンになってからは『プチセブン』や『Seventeen』にも出ていました。15~16歳のときには、ザ・ドリフターズの『8時だョ!全員集合』にもレギュラーとして毎週、出演していたんですよ。

 

── 天功さんが、『8時だョ!全員集合』に⁉

 

天功さん:番組内で体操をするコーナーがあるのですが、仲本工事さんと一緒に体操をして、タレントさんにお手本を見せるのが私の役割でした。トライアングルさんやアパッチさんといったタレントさんと一緒に出演していましたね。

 

私、昔からお笑いがすごく大好きなんです。番組では、ドリフターズの皆さんも、ほかの出演者たちと同じ部屋にずっといて、そこでリハーサルをやっていました。もちろん楽屋はありましたけど。いかりや長介さんや志村けんさんたちが、おもしろいことを考えている姿を間近で見ることができたのは、すごくいい思い出です。

 

── ドリフのコントが生まれる瞬間に立ち会われていたというのは、貴重ですね。

 

天功さん:お笑いって、こんなにいろいろと考えつくされているんだなと、刺激を受けました。皆さん、優しかったですよ。一緒に体操のコーナーをやっていた仲本工事さんもよく声をかけてくれたし、加藤茶さんも「こうしてみたらどう?」とアドバイスをくれたり。和気あいあいとしていて、楽しかったですね。

 

── アイドル歌手として活動されていた時期もあったと聞きました。

 

天功さん:もともとは舞台女優になりたいと思っていたんです。実は、幼少期から体が弱く、お医者さんには「18歳まで生きられないだろう」と言われていました。ですから、「どうせ短い命ならたくさんの人に知ってもらいたい」と思って。親も「好きなことを存分にやりなさい」と応援してくれました。たまたま親戚のおじさんが、マジシャンとして活躍していた初代・引田天功の事務所の社長をしていた関係で、おじさんの事務所に入り、そこから森繫久彌劇団で舞台女優を目指す予定でした。ちょうどピンクレディーさんが全盛期のころです。

 

ところがある日、フジテレビのプロデューサーが、「歌って踊ってマジックする子が欲しい。おたくの事務所に可愛い子がいるって聞いたんだけど」と訪ねてきて。自分で言うのもなんですけど(笑)。そして、1978年にマジックを披露しながら歌うアイドル歌手、朝風まりとしてデビューし、レコードも出しました。

 

── 歌いながら、マジックをするんですか…?

 

天功さん:そうです。鳩が出てきたり、モノが浮いたり。

 

── なんだか忙しそうです(笑)。

 

天功さん:結構、好評だったんですよ。皆さんから「おもしろい」と言っていただいて。ちなみに同期には、サザンオールスターズさんがいます。テレビ局のオーディションなどで、よく一緒になりましたね。「どうだった?うまくできた?」なんて、みんなワイワイおしゃべりしたり。その後、私が日本を離れてアメリカに行ってしまったので、その後の活躍ぶりは見られなかったのですが。