モデルとしてファッション誌を中心に、第一線で活躍し続ける園田マイコさん(55)。39歳のときに乳がんの診断を受け、納得できる治療法を探すためサードオピニオンまで受けたといいます。(全2回中の1回)
「95%大丈夫」から、まさかの乳がん宣告
── 39歳のときに乳がんの診断を受けたそうですが、がんに気づいたきっかけを教えてください。
園田さん:私の母も乳がんだったため、自分もいつか乳がんになるのかもしれないという気持ちは、昔からずっとありました。乳がん検診が推奨されているのが40歳からだったので30代のころは受けていなかったのですが、定期的にお風呂で胸をマッサージするセルフチェックは行っていたんです。するとある日、左乳房の下にしこりがあることに気づき…。不安になって、お風呂を上がってすぐにネットで検索し、とりあえず婦人科に行くことにしました。
とはいえ、やっぱり人間って自分の都合のいいように考えてしまうんですね。母のことがあったので「いつかは乳がんになるかも」と思っていながら、しこりに気づいても「いやいや、まさかね」と、どこか楽観的に考えている自分がいました。乳がんは検診の始まる「40歳以降の病気」という感覚もありましたし。
行きつけの婦人科に行くと、すぐに乳腺科を紹介されて検査を受けることになりました。超音波検査、マンモグラフィ、触診、細胞診の4つですね。細胞診の結果は当日はわかりませんでしたが、先生には「細胞診以外の診断を見る限り、おそらくは良性で、95%大丈夫だと思うよ」と言われたんです。そこで少し安心したのを覚えています。
── なのに、良性ではなかった?
園田さん:そうなんです。1週間後に細胞診の結果を聞きに行くと、先生に「乳がん」とはっきりと言われました。そして、「乳房を全摘出する必要がある」と宣告されました。95%大丈夫と言われていたため、私もこのような結果を予想しておらず、頭の中が真っ白になりました。先生が病状や治療法を説明されていたのですが、まったく耳に入ってきませんでしたね。ひたすら「診察室から一刻も早く出たい」という気持ちでいたことを覚えています。
病院を出てから、ベンチに座って、前もって事情を伝えてあった元夫に電話をしました。話しているうちに感情が高まり、涙がどんどん溢れてしまい…。ひと通り泣き終わって、やっと少し落ち着くことができましたが、あのときは本当につらかったです。
── 息子さんにも病気のことは伝えたのでしょうか?
園田さん:当時、息子は中学2年生でした。元夫がすぐに息子に病気のことを伝えてくれ、支えてあげてほしいと言ってくれたようです。ちょうど反抗期だったのですが、私の病気のことを知った後は、反抗期前の息子に戻ったような気がしました。面と向かってなにかを言うわけではありませんが、掃除や片づけなど、自分にできる家事を手伝ってくれていましたね。