息子さんが誕生して112日後に、最愛の妻を亡くしたフリーアナウンサーの清水健さん。今も「正解がわからない」という闘病の日々と、家族3人の思い出を話してくださいました。(全2回中の1回)
妊婦検診で念のために受けた検査で乳がんが見つかった
── はじめに、お二人が出会われたきっかけを教えてください。
清水さん:妻と出会ったのは、読売テレビ『かんさい情報ネットten.』という夕方の報道番組にキャスターとして出演していたころです。キャスターとしての責任感、プレッシャー、時には周りが見えなくなってしまうほど毎日、必死だった僕を、妻はスタイリストとして支えてくれました。約2年の交際を経て、2013年5月に結婚。結婚生活は、2015年2月、妻が乳がんで、僕たちの隣からいなくなってしまうまでの1年9か月でした。
── 病気がわかったのはいつごろですか。
清水さん:結婚して1年がたったころです。妊婦検診で、胸にしこりがあることを妻が産婦人科の先生に相談したとき、念のために検査を勧められたんです。妻は当時28歳。乳がんかもしれないなんて、正直まったく想像なんてしていなかったです。
検査の結果は、乳がん。治療方法も限られる「トリプルネガティブ」だとわかりました。調べてみると、予後も決して良いわけではないタイプの乳がん。僕は、自分自身にいまの状況を納得させたいために、時間を見つけては、名医と言われる先生にも会いに日本全国を飛び回りました。いま思うと、新しい病院へ行くたびに検査を受けなきゃいけない妻は大変だったと思います。でも、妻は何も言わずに着いてきてくれ、逆に僕に「大丈夫だよ」と声をかけてくれていました。
── 出産は無事に?
清水さん:2014年10月に、帝王切開で元気な男の子が産まれてきてくれました。その1週間後、妻が腰の痛みを訴えました。出産前に、皮下乳腺全摘手術を受けていましたが、MRIとCT検査の結果、肝転移、骨転移、骨髄転移が見つかり、「余命1か月」と宣告されました。
本人に詳しい病状は伝えませんでしたが、自分の体のことは自分でよくわかっていたと思います。不安だったと思うし、体もしんどかったと思う。それでも妻は、決して僕の前で弱音や涙を見せることはありませんでした。抗がん剤の副作用で、39度以上の熱が出ても、話すことができないほど口内炎ができても、「しんどい」とは言わなかった。僕の前で自分が泣いたりしんどい顔をしたりすれば心配をかけてしまう。そう思って笑顔でいてくれたんだと思います。
── 強い方ですね。
清水さん:強かったのかな?不安だったと思うし、怖くもあったと思います。妻に強くいさせてしまっていたのは、僕なんですよね。妻は、心配かけちゃいけない、自分の病気が負担になってはいけない、とムリをして、強くいてくれたんだと思います。僕たち夫婦は、弱音をあえてお互いに言葉にはせず、病と向き合っていました。
いま思うと、妻の悩みや苦しみをもっと素直に出させてあげられるパートナーだったらよかったのかもしれない。お互いに「しんどいよね」「不安だよね」と言いあればよかったのかもしれない。どう病と向き合うべきだったのか、何が良かったのか、いまだにわからないことだらけです。もう本人に聞くことはできないので。僕自身は、その妻の強さ、優しさに甘えてしまっていたと思います。僕は妻に寄り添うことができていたんだろうか。僕は妻を支えることができていたんだろうか。妻がいなくなって9年が過ぎますが、一生答えは出ないんだろうなと思います。