支援学校でライブをしていたはずが
── 病院で検査結果を聞くと発達障害「自閉症スペクトラム中等度」と診断名が告げられました。
福岡さん:ある程度覚悟して行ったはずでしたが、いざ診断名を聞かされると全然、覚悟ができてなかったですね。どこかで違うだろうって思いたかったのか、その場で泣いてしまいました。診断を受けなければ今までと変わらず生活していたと思うんですよ。でも違う扉を開けてしまったような。そのときは将来の話まで説明を受けなかったのですが、帰宅して自分で自閉症について調べてみると「将来的には自立が難しい」と書いてあるのを見つけて、さらにショックで。私たちが死んだ後はどうなるんだろうって。
── 診断を聞いて、なかには自分を責めてしまう人もいるようです。どう受け止めましたか?
福岡さん:何が原因だったのか考えなくもなかったし、ショックを受けたのも事実です。でも、うちの子が悪いと言われているわけではないので、子どもに申し訳ないと思うのは失礼かな、とは思いました。
いっぽうで、チャットモンチー時代に友達の縁で、支援学校でシークレットライブをすることがあったんです。そのライブがすごくよくて、バンドが完結してソロになった後も活動は続けていたので、人よりそうした理解があると思っていたつもりでした。でも、自分の子どもが自閉症スペクトラムといざ診断されたからといって、ショックを受けちゃう自分にもショックで。「子どもたちを本当に理解していたかというと、していなかったんじゃないか。差別視していたんじゃないか」と思いました。
── ちなみに支援学校の子どもたちへのライブは、どんなところがよかったですか?
福岡さん:今までにない音楽の力を目の当たりにしました。子どもたちがお客さんとなってライブを観てくれましたが、みんなメチャクチャ近くまで寄ってきて踊るんですよ。もちろん今までたくさんライブをやってきて、どれも素晴らしかったんですが、みんな程よく周りに気をつかうとか、人との距離間を考える人たちの前でライブをすることが多かったんです。でも、支援学校のライブでは周りのことなんて気にしない。前にギュッと寄ってきてくれて、今までにない音楽の側面を感じたというか。子どもたちの気持ちが嬉しくて、その後も継続して活動をしていました。
── 周りの人には息子さんの診断を伝えましたか?
福岡さん:身近な人や近くに住んでいる人には伝えました。夫婦でも話しましたが、うちの子が自立できないなら、味方を増やすしかない。早く知ってもらって、何かあったときは協力してもらえるようにしておいた方がいいねって。上の世代の人たちは「治るんでしょう?」「病院に連れて行けばよくなるんでしょう?」といった反応もあったし、若い世代の人たちは学校にもそうした子がいるとか、自閉症の特性を知っている人も多かったですね。
── 自閉症と受け入れられたのはいつくらいからですか?
福岡さん:診断されて1週間後くらいには、気持ちが落ち着いてきたと思います。いろいろな情報や資料を調べながら、子どものことをもっと考えられるようになったのはよかったのかなと思います。すぐに全部受け入れるのは無理だとしても、徐々にですね。もともと切り替えは早い方なので、自分にとって1週間は長い方でした。夫も診断を受けるまでいろいろ考えたようですが、もっと切り替えが早かったです。時間と共にやるべきことが見えてきたんだと思います。
PROFILE 福岡晃子さん
ふくおか・あきこ。1983年生まれ徳島県徳島市出身。2002年よりチャットモンチーのメンバーとして活動し、2016年に徳島にイベントスペース「OLUYO」を開設。2018年にチャットモンチー完結後、2020年に完全に徳島に移住。ソロアーティストやバンドのプロデュース、作詞作曲などを手がける。結婚して1児の母。
取材・文/松永怜 写真提供/福岡晃子、weathershop