今ではお風呂や歯磨き、散髪もスムーズに

── 脱走や噛みつきなどの時期を経て、現在中学2年生の大和さんの様子を聞かせてください。

 

永里さん:小学校5年生の終わりごろから、グッと成長しました。朝起きたら支度をして学校とデイサービスに行く、帰宅したら夕飯を食べてお風呂に入って歯磨きをする、午後8時前後に寝室へ行くという流れをずっと継続しているので、1日のルーティンを理解して、見通しをもてるようになりました。

 

たとえば、登校前にはぼくのところへ靴下を持ってきて指先を入れてあげると自分で履いたり、ご飯のあとは食器を流し台まで持って行けたり。お風呂と歯磨きに関しても、小さいころは動いてくれなくて引きずりながらお風呂場まで連れて行ったり、歯医者でじっとしていられないだろうから虫歯だけは阻止しなきゃと、ふたりがかりで頭と足を押さえつけて歯磨きをしたりしていたんです。でも、今は「やまちゃん、お風呂だよ」と声をかけると自分でお風呂場に歩いていくし、お風呂のあとは歯磨きだとわかっているので、ぼくが歯ブラシを持つと自分でぼくの足の間に頭を乗せて口を開けて待てるようにもなりました。

 

散髪も、小さいころは押さえつけてカットできていたんですけど、体が大きくなってきてからは本当に大変で。家族全員で大和を押さえながら目の前にiPadを置いて、頭を固定して何とか切っていたんです。でも先日、ついに押さえつけなしで散髪することができました。

 

お母さんに髪をカットしてもらう大和さん

買い物のときも、今までは手を離してわーっと行っちゃうことが何度もあったので、連れて行くのが少し億劫になったりもしていたんです。でも、支援学校の校外学習でスーパーに行ったというお話を聞いて「よし!行ってみるか」と思って。大和にかごを持ってもらって手をつなぎながら店内を回ったんですけど、どこにも行くことなく、一緒に歩いてくれました。お菓子売り場で「これ、いつも食べてるじゃん」と言って大和の手を商品のほうに持って行くと、自分で取ってかごに入れていました。一番すごかったのは、会計のときです。レジが結構並んでいて「これ待てるのかな…」と心配したんですけど、会計が終わるまでずっと隣にいてくれて。すごく成長を感じましたね。

 

── 学校生活の中でも成長を感じた場面はありましたか?

 

永里さん:小学校1年生から5年生くらいまでの間は、授業参観に行っても椅子に座っていられないし教室を出て行こうとするので、「大丈夫?」と心配になる場面がありました。でも、最近は座って作業するようになっていて。支援学校の先生が本人の成長を見てくれて、適切な支援をしてくれているからだなと感じましたし、鳥取で未就学のころから通っていた早期療育がよかったからこそ、今につながっているんだなということもすごく感じています。

 

── 食事と排泄についてはいかがですか?

 

永里さん:小学校1年生のころは手で食べていたんですけど、学校での給食のときにメニューの写真を見せてもらって、欲しい食べ物の写真を指差して、それをスプーンの上に置いてもらうということをしてもらっていたので、高学年のころからは自分で食べるようになりました。家では、プレートにご飯とおかずを全部置いて基本的には食べさせてあげていますが、自分でスプーンを使おうとするようになりました。

 

排泄は、学校でもタイミングを見てトイレに連れて行ってくれているんですけど、結局トイレではせずにオムツでするので、ちょっと難しいですね。ルーティンの中で、おしっことうんちはオムツでするという認識になっているのかなという気がします。最近は1回の量がすごく多くて、オムツをいくら変えてもキャパオーバーするので、寝るときは夜用の介護パンツを履かせて、登校するときはさらにパットをつけるようにしています。

「やまちゃんかわいい」3人の姉妹に囲まれて

── 大和さんのお姉さんや2人の妹さんについても聞かせてください。

 

永里さん:大和に対してネガティブな言動はいっさいなくて、いつも「やまちゃんかわいい」と言っています。今なんておもしろいですよ。みんなが大和を弟みたいに扱うんです(笑)。最近は小学校5年生の次女が「やまちゃん、おいで!髪を乾かしてあげる!」と言ってくれるので、ぼくもつい大和に「ほら、お姉ちゃんがやってくれてるよ~」と話しかけるんです。そしたら、次女が「いやいや妹だから!」と返してきたりして(笑)。大和はぼくのおかずはもちろん全部取るし、他の子たちのも取ったりするんです。嫌な気持ちになっているだろうけど、誰も怒らなくて。ほかにも、大和が何でも口に入れることがブームだった時期は、大事なプリントを口に入れてしまうことがありました。普通に考えると、紙を食べたほうが悪いに決まっているんですけど、「自分のプリントを片づけてなかったのが悪い」「次は大和が手の届かないところにしまおう」と言ってくれました。

 

そんなふうに、噛みつきがブームだったり、口に入れるのがブームだったりと、そのときどきによって本人のこだわりがあるなかで、唯一小さいころから変わらないのがEテレを見ることなんです。朝、Eテレがついていないとリモコンを持ってきて「テレビをつけろ、つけろ」と表現するんですけど、ほかの子たちはそれぞれ好きな番組があるじゃないですか。そんなときも「録画して、やまちゃんがいないときに見ればいいや」と対応してくれて。障がいについて特には何も伝えていないんですけど、きっとそれぞれが「大和はこういう子なんだ」と認識しているんだと思います。

 

── きょうだい喧嘩もないですか?

 

永里さん:全然ないです。でも、5歳の末っ子が遊んでいる指人形を大和が取っちゃったときは「やまちゃん、取らないで!」と言って末っ子が取り返していて。大和が悪いのに、悲しそうに「ふぅ~」と声を出していました(笑)。注意されたり怒られたりするときに、そういう声を出すんですよ。

 

── 中学生の男の子には失礼かもしれませんが、かわいいですね。

 

永里さん:いやいや、失礼じゃないです。めちゃくちゃかわいいです。子どもたちについて、妻とは「自分たちが絶対に先に死ぬから、大和の存在が大和以外の子どもたちの重荷にならないようにしたいよね」という話をしていました。でも、厚木のJC(青年会議所)の方々と一緒にお仕事をする機会があったときに、たまたまお兄さんが障がいを持っているという方がいらっしゃったので、親目線で「障がいを持つ子がほかのきょうだいに迷惑をかけないように環境を整えたい」というような話をしたんです。そしたら、その方から「それは親のエゴです。きょうだいは、障がいを持つきょうだいに対して、迷惑とか嫌な気持ちなんてないですよ」と言われて。なるほど、親とは違ったきょうだい側の目線や思いもあるよねと気づかせてくれた、貴重な機会になりました。

 

──そんなふうに周囲の意見に真摯に耳を傾けることができるご性格は、昔からですか?

 

永里さん:いや、全然です(笑)。昔はめちゃくちゃ我が強くて短気だったので、選手時代はコーチの言うことも聞かなかったし、「うるせえよ」とか「こっちはこういうプレーをやりたかったんだよ」みたいな感じでした。「こんなやつ絶対ダメだよね」と思われてしまうようなタイプだったので、今になってすごく後悔しています(笑)。

 

今でも少し我が強い部分はありますけど、ぼくが変わったのは、やっぱり大和の存在が大きいと思います。大和はコミュニケーションがとれないし、自分のことを自分でできない。そんな息子を見ていて、「今は何をしてほしいんだろう。どういう気持ちを伝えたいんだろう」と考える時間がすごく増えたんです。大和がぼくの知らないことを伝えてくれることで、いろいろな目線で物事を見る習慣や、周りの人からのコミュニケーションを受け入れようとする姿勢が身についてきたのかなと思います。

 

PROFILE 永里源気さん

1985年12月16日生まれ。湘南ベルマーレユースを経てトップチームに昇格。その後、東京ヴェルディ、アビスパ福岡、ヴァンフォーレ甲府などで活躍した。22歳のときに結婚し、4児の父に。現在は地元・神奈川県厚木市で療育特化型「放課後等デイサービス Athletic club ハートフル」を開設しており、少年サッカーチームやスクールも運営している。元女子サッカー日本代表の永里優季さん、永里亜紗乃さんは実妹。

 

取材・文/長田莉沙 写真提供/永里源気