昨季で17年間の現役生活から引退した元ラグビー選手の田中史朗さん。世界との厳しい戦いの舞台に挑む夫の心を支えてきた妻・智美さんが当時の心境を明かします。(全2回中の2回)

「もし俺が死んだらいい人見つけて」と真顔で

田中智美
現役時代は小椋久美子さん、潮田玲子さんのオグシオと同じチームでプレーした

── 智美さんは結婚前に元バドミントン選手として活躍されていました。アスリート時代の経験が結婚生活でも生きたと感じることはありましたか?

 

智美さん: 2015年のW杯イングランド大会で主人は日本代表のスターティングメンバーとしてプレーしていたんですが、南アフリカに勝って完全燃焼して次の目標を少し見失っていた時期があったんです。当時30歳。年齢的にも若くてまだまだできるのに…。そんな彼をもう一度奮い立たせたくて。私がプレーしている姿が見るのが常々すごく好きだと言ってくれていたので、バドミントンしている姿を見たら目標を再設定してくれるんじゃないかなと思ったんです。それでミズノのアドバイザリースタッフをやらせていただくことになって。

 

── 2015年W杯前、ご主人は遺言めいたことを智美さんに伝えられていたそうですね。

 

智美さん:南アフリカ戦の前ですね。日本代表が出発する前夜に、主人が「W杯って特別な大会だから死ぬ気で頑張ってくるね」と言った後に、「もし俺が死んだらいい人見つけて」と本当に真面目な表情で言ってきたんですよ。結婚してそんなに年月も経っていないし、子どももいるのに「なんでそんなこと言うの」って泣きました(笑)。それほどの想いで挑むということだったんでしょうけど。19年のW杯でも同じように、もしも何かあったらいい人見つけてねと言われて。そのときは、「わかったよ。あなたの気持ちはわかってるよ」って伝えました。

 

── 2019年に日本で開催されたW杯では、メンバー選考する合宿がハードで「もうやめたい」「ムリ」という泣き言に発破をかけていたという話も伺いました。

 

智美さん:本人はそう言っていましたけど、ニュージーランドのハイランダーズに所属していた当時のヘッドコーチでもあるジェイミー(・ジョセフ)さんが日本代表に必要だと思って主人を呼んでくれていたんですよ。私はなぜ招集されているのにきついって言ってんの?と思ってしまって。練習はきついかもしれないけど、それが現役選手だからこそ感じられるものだから、「まだできる!」と励ましたんです。

夫の涙は過去のプロセスへの安堵のように見えます

── 一番近くでご主人の苦労を見てきたからこその言葉ですね。

 

智美さん:命がけで頑張ってきたことを、そばでずっと見続けてきてわかっていただけに「もうやめていいよ」なんて言葉は口にできませんでした。だから、本人にも「私は『やめていいよ』とは言えない。ごめん」といいました。甘い言葉はかけられないからって。きついとは言っていても怪我なく体も動いている。「まだ頑張れるでしょ」「もう少しやろうよ」って。引退する間際ぐらいに、「あのときは優しい言葉をなかなかかけてあげられなくてごめんね」と言いましたけどね(笑)。

 

── それに対してご主人は何かおっしゃっていましたか?

 

智美さん:「言ってくれてよかった」と言ってくれています。もしあのとき「もうやめていいよ」と私が言っていたら、その方向に気持ちが傾いていたと思います。あそこで「ちゃんともう頑張りなさい」とお尻を叩いてくれたから頑張れたんだと、感謝の言葉はいただきました。

 

田中史朗・智美家族
夫の田中史朗さんが現役生活最後を過ごしたNECグリーンロケッツ東葛の試合を家族で観戦

── 田中史朗さんといえばテレビ番組などで涙するシーンが印象深いです。

 

智美さん:泣き虫だからとか、ただ感動して泣いていたというよりも、一つひとつのプロセスに対して、 やってきたことが間違ってなかったな、正解だったなっていう安堵の涙のように私には見えています。ずっと一緒にいて感じていたのは、本当に人一倍、誰よりも日本ラグビーのことを考えている人だということ。日本ラグビーのため、そしてメジャーなスポーツにさせたいという思いで今日まで頑張ってきた人。だから、17年間の現役生活に対しては本当にやりきったねという気持ちでいっぱいです。