年齢を重ねると掲載ページが小さくなって…

── 20代半ばくらいから、活動の場がグラビアから離れていったように感じます。何か理由はあるのでしょうか?

 

川村さん:だんだん求められるものが変わってきたからです。デビュー当時は、雑誌のモノクロページの片隅に掲載されていました。人気が出るにつれて、カラーページに載るようになり、最終的には華やかな巻頭ページや表紙を飾るようになっていきます。それが、年齢を重ねるにつれて、表紙から後ろのほうのページになり、次第にモノクロページになり…と、掲載される場所が少しずつ逆戻りしていくんですよ。

 

私は「青空の下、明るい水着を着て、キラキラした笑顔の写真を撮りたい」と、グラビアでやりたいことが明確でした。きわどい水着での撮影はしたくないなど、自分のなかで線引きがはっきりしていたんです。だから、次第に求められる仕事に対し、「これはちょっと違うな」と感じるようになり、グラビアを自分から辞めることにしました。

 

川村ひかる
健康の大切さを伝えるために全国を飛び回る毎日

── 自分で引き際と決めたというのが潔いです。グラビアの後は、どんな仕事に力を入れましたか?

 

川村さん:グラドルとして活動しているときから、スポーツキャスターの仕事をさせていただいていました。スポーツキャスターは競技に関する知識が必要とされます。生中継で急に話を振られたときに、何も知らないとすぐに答えられなかったりするので。競技について学んでいくなかで知識が増えるのは楽しかったです。もともとスポーツが好きだったから、どんどんのめりこんでいきました。

 

最初は競馬中継に5年ほど出演させていただきました。次第に、サッカーやアメフトなどの生中継のゲストに呼ばれるなど、仕事の幅が広がっていきました。グラビアとスポーツキャスターは、フィールドは異なります。でも、自分が何がしたいのかを明確にすること、目の前の仕事に一生懸命取り組むことが次の仕事につながります。きっと、どんな職種でも同じなんだろうなと思います。

 

PROFILE 川村ひかるさん

かわむら・ひかる。1979年生まれ。グラビアアイドル、マルチタレントとして活躍後、体調不良を改善させるためにJAAアロマコーディネーター、健康管理士、ジュニア野菜ソムリエ、発酵プロフェッショナルなど、さまざまな資格を取得。現在は妊活マイスター講師、分子栄養学カウンセラーとして不定愁訴に悩む方へのサポートを務め、会社経営など実業家としても活動する。

 

取材・文/齋田多恵 写真提供/川村ひかる