柔道部がない大学にあえて入って

谷亮子
小学生の頃はピアノと書道を習っていた時期もあったと語る谷さん

── ところで谷さんは大学、社会人になるときももともと柔道がない場所を選んで、道を開拓していかれたそうですね。

 

谷さん:高校を卒業して大学進学を考えたときに、いろいろな大学からお話をいただきましたが、当時、帝京大学さんだけ柔道部がなかったんです。でも沖永荘一総長が、「田村さんが来てくださるなら新たに柔道部を作り、道場も建てる。寮も作る。なんでも応援する」と仰ってくださり、私もその熱意に応えたい。柔道の普及に繋がればいいなと思い、帝京大学へ入学を決めました。

 

実際、大学時代はとてもサポートして頂きましたし、私が卒業した後もたくさんの選手が帝京大学の柔道部に入部して活躍しています。

 

また、社会人になるときも当時、トヨタ自動車には女子柔道部がなかったんです。そもそもスポーツ自体、なかなかスポンサーがつくことがなかったなかで、トヨタ自動車がバックアップ体制を作ってくださって、スポーツに関わる環境を一緒に広げてくださったのでとても感謝しています。

 

大学でも社会人になった後も、私を応援してくださる方に出会うことができて素晴らしい経験をさせてもらっていると思います。また、今までなかったところに新たな環境を一緒に生み出して応援していただいていることは、本当にありがたいと思っています。

 

── それによって次に続く方にもいい環境が広がりますし。

 

谷さん:スポンサーの方がどんどん応援してくださるようになって、私はCMなどにも出演させていただいたり、柔道だけではなく、スポーツとしての広がりや応援していただけることに繋がっていったのは振り返ってみると大きいですね。

 

── 後に続くといえば、谷さんは「最高で金、最低でも金」「田村で金、谷でも金」「田村で金、谷でも金、ママになっても金」の名言も有名ですが、パリ五輪でも名言を期待されたとか。

 

谷さん:オリンピックのコーチ陣が私と同じ年代の方や昔からよく知っている方がたくさんいて、「亮子ちゃん、何かいいキャッチフレーズない?」って聞かれたんです。でも自分が現役中のときはインタビュー中にパッと出た言葉で、考えて出た言葉ではなかったんです。

 

そんなとき、オリンピック選手の前で講話する機会があったんです。選手の皆さんと対話するなかで、「パリオリンピックはメダル目指されてますよね?」「はい!」「なかでも金メダルですよね?」「もちろん金メダルです!金メダル以外目指していません!」みたいな感じだったので、やっぱり金だよな…と思ったときに「パリで金、やっパリ金!」ってサラッと出てきて。

 

この言葉は、柔道だけではなく、どの競技もそうで。初出場の選手も連覇を目指されている選手も、オリンピックに向けて相当な準備を重ね、金メダルを取れるだけの成長を遂げて舞台に立たれるだろうなと思ったから、この言葉を送らせていただきました。

 

PROFILE 谷亮子さん

たに・りょうこ。1975年生まれ福岡県福岡市出身。 全日本体重別選手権大会優勝14回 、 福岡国際女子柔道選手権大会優勝12回 、 世界柔道選手権大会優勝7回(2年に1度開催) 、五輪5大会連続メダリスト 。2003年に谷佳知さんと結婚して2児の母。

 

取材・文/松永怜 写真撮影/北村史成