授乳中に合宿や試合に臨むと

谷亮子
柔道が大好きだったんです、と語る谷さん

── 出産されてどれくらいで復帰されましたか?

 

谷さん:産後1週間くらいから子宮とか骨盤の位置を元に戻すような体操をなんとなく始めて、筋トレを徐々にして、体重も10キロくらい減量していって。柔道着を着て本格復帰したのは産後半年くらいですかね。産後のアスリートの体について聞く人がまったくいなかったので、この運動は骨盤に響くとか。授乳しながらどれくらいでアスリートの体に戻るのかとか。すべて自分の体の変化を感じながら、自分でやってました。

 

── 授乳中に遠征や合宿にも参加されていたそうですが、これも今まで経験した人がいなかったことだと。

 

谷さん:周囲にいなかったですし、監督やコーチも全員男性でしたので、「まだ授乳中です」と言える環境も整っていなくて、そもそも授乳しながら練習して大丈夫なのか?とか、デリケートな問題としてお互いにですが、捉えられていたので、監督やコーチは何かしてあげたくても、聞いちゃいけないと思われていたのかもしれないです。「産後はこんな変化もあるんです」といった姿は見せちゃいけないと思っていて、練習でも試合でも復帰するときは、パーフェクトな状態で、子どもを産む前以上の強靭な心と体でカムバックしたかったんです。もちろんそこまで仕上げるのは準備と時間と環境が必要でしたが、状態を整えて柔道着を着てみんなの前に戻ってきたので逆に驚かれました。

 

── 合宿にはお母さんも帯同したそうですね。

 

谷さん:母は選手とは別のホテルをとって子どもを見てもらっていました。午前の練習が終わって昼食後、他の選手は1時間ちょっと仮眠をして午後の練習に備えるんですけど、私は昼食をとったら母と子どもがいるホテルに向かい、授乳をして、スキンシップをしてから練習に向かいました。試合当日も、本来は試合と試合の間は休息をとって次の試合に備えますが、当時はその間に授乳しに行ってましたね。

 

── 体がキツいと感じることはなかったですか?

 

谷さん:それが、意外とできたんですよね。夜泣きで起きたことはもちろんありましたが、睡眠時間を削られてもそんなにキツイと思ったことはなかったし、まぁこんなもんだよなと。途中で乳腺炎になって大変な思いをしましたが、徐々に治りましたし。体はもちろん大事です。でも同じくらい、ママになったことで私を特別扱いしてほしくなかったですし、みんなと同じタイムスケジュールで動く。むしろみんなより練習するくらいのイメージで動きました。子育てをする前はなんでも完璧にこなす方でしたが、子育てが始まってからは、これもありかな、と自分でも順応しながらやっていきました。

 

── 結果、「ママでも金」を達成されました。

 

谷さん:本当に皆さんの力をいただけたことが、本当に大きかったですし、次の後輩たちに少しでも道が開けたらと思いながら、戦うことができました。

 

PROFILE 谷亮子さん

たに・りょうこ。1975年生まれ福岡県福岡市出身。 全日本体重別選手権大会優勝14回 、 福岡国際女子柔道選手権大会優勝12回 、 世界柔道選手権大会優勝7回(2年に1度開催) 、五輪5大会連続メダリスト 。2003年に谷佳知さんと結婚して2児の母。

 

取材・文/松永怜 写真撮影/北村史成