「田村で金、谷でも金、ママになっても金」など、数々の名言を残した谷亮子さん。有言実行を果たしてきた数々の言葉は、いったいどのように生まれたのかー。(全5回中の4回)

お子さんが生まれたら引退ですよね

谷亮子
運動が終わって30分以内に食事を取るようにしていた谷さん

── シドニーオリンピック(2000年)では「最高で金、最低でも金」で新語・流行語大賞の特別賞を。結婚会見(2003年)では「田村で金、谷でも金」、妊娠発表の会見(2005年)では「田村で金、谷でも金、ママになっても金」の名言が話題になりましたが、こうした言葉はどうやって生まれたのでしょうか。

 

谷さん:私が中学3年生(15歳)のときに国際大会で優勝すると、私を取り巻く環境は1日にして一気に変わりました。練習でも試合でもメディアの皆さんが取材に来てくださるようになって、毎日のようにインタビューを受けるように。その都度、「今回の目標を教えてください」とよく聞かれていたので、「目標は金メダルです」と答えていましたが、心の中ではもっと強烈な金メダルへの思いがある。これをどうにか伝わる言葉で表現したいと思ったときに「最高で金、最低でも金」と言葉が凝縮されて出てきたんですよ。それをメディアの皆さんが使ってくださって。

 

── 用意してきた言葉ではなかったと。

 

谷さん:インタビュー中に出てきました。結婚会見のときも記者の方に質問されて「田村で金、谷でも金」が自然と出て。そうなると妊娠会見のときも記者の皆さんが聞いてくださるんです。「じゃあ、次はどうですか?」って。すると、そのときも質問に導かれるまま「田村で金、谷でも金、ママになっても金」とスッと出ていました(笑)。

 

ただ、ありがたいことにインタビュー中に出た言葉がそのまま私の目標や決意の場になっているんです。メディアの皆さんが毎回いいタイミングで聞いてくださって、そのまま競技にも大きな影響を与えてくれたことはたくさんありました。

 

──「ママになっても金」の発言の後、周りの反響はいかがでしたか?

 

谷さん:まず、結婚して現役を続けることで驚かれ、ママになっても選手を続けると言ったら今度は無理でしょう!とさらに驚かれて。今までそうした選手がいなかったので、もう世界選手権も優勝しているし、オリンピックでも金メダル取ってるし、お子さん生まれたら引退ですよね、といった空気はありました。ただ、私は初めての出産でこれからどうなるのかわからないことだらけでしたけど、やってみないとわからないし、それ以上にチャレンジしてみよう!という気持ちの方が強かったですね。私が頑張ることによって何かメッセージが発信できるんじゃないか。スポーツを取り巻く環境が新たに構築できるのであれば、是非やってみようって思いました。

 

そのためには出産から2年後に行われた世界選手権大会の代表になって優勝することが大事だったんです。そこで勝たないとやっぱり無理だよね。出産して勝つのは無理だと思われてしまう。その先の環境を作っていくためにも絶対優勝して世界一になるのは必須でした。今振り返ると所属していたトヨタ自動車も会社をあげて充実したバックアップ体制と環境を新たに作ってくれましたし、家族のサポートも感じながら素晴らしい経験だったと思います。

 

── しかし、公言することでプレッシャーはありましたか?

 

谷さん:プレッシャーはありました。巨大なものとしてありましたし、もちろん負けたときはどうしよう…と一瞬よぎるんですけど、それ以上に今チャレンジしていることが大事なんじゃないか。あの時やっておけばよかったと思うのは嫌だし、とにかく前に進むことにしましたね。もちろん言っただけの努力をしなきゃいけないし、世界一の努力はする覚悟でした。