水泳実況やお天気お姉さん、そしてフリーアナウンサーなど、いくつもの「女性初」のキャリアを突き進んできて今井登茂子さん。しかし、40代で突如、アナウンサー業から退き、後進を指導する塾を開業。知られざる女子アナ黎明期を支えた今井さんの信念に迫ります。(全3回中の2回)

 

お天気お姉さんとしても人気を博した当時の今井登茂子さん
お天気お姉さんとしても人気を博した当時の今井登茂子さん

「やりたいことができない」40代で現役アナを退いて…

── 視聴率40%を達成した日本初の「お天気お姉さん」、女性アナウンサー初の「水泳実況中継」など、いくつもの“女性初”を達成されてきた今井さんですが、62年にTBSを退社し、フリーアナウンサーに転身されました。安定した局アナという立場を捨てて、フリーになろうと思われたのはなぜだったのでしょう?

 

今井さん:もともとは、定年までテレビ局で働くつもりでしたよ。でも、だんだん自分の言葉で思いを伝えて表現する、いまでいうキャスターのような仕事がしてみたいと思うようになったんです。もちろん当時は、女性のキャスターなんてほぼいません。そもそも女性アナウンサーに求められていたのは、男性司会者の隣で、にこやかに笑ってあいづちを打つこと。それ以上ではなかったんですね。局アナ生活でそれを実感したので、思いきって組織を飛び出して、新たに挑戦してみようと思って、会社をやめました。

 

── 女性のフリーアナウンサーも“初”ですか?

 

今井さん:はっきりわからないのですけれど、ただ、フリーアナウンサーという存在自体が、ほとんどいなかったので、働く環境がまったく整備されていない状態でした。フリーになってから、働き方や報酬の面など、“ちょっとこれはないな…”と納得いかない部分が多かったので、仲間と一緒に、「私たちも演劇の人たちみたいに、ひとつにまとまって組合のようなものを作りましょうよ」と呼びかけたのですが、まるっきり集まらず、断念しました。

 

── 88年には放送界に貢献した人に贈られる「ゴールデンマイク」賞を受賞されました。

 

今井さん: TBSラジオの『キユーピー・バックグラウンド・ミュージック』を約20年間つとめたんです。ですが、やっぱり女性キャスターへの壁は厚かったですね。もちろん私が未熟だったこともありますが、“どうやら自分が現役の間には、やりたいようなことができるような時代はこないだろうな”と感じ始めていました。そこで、頭を切り替えることにしたんです。アナウンサーとしては第一線を退き、後進を育成しようと考えました。40代はその活動に力をそそぎましたね。

 

「キユーピー・バックグラウンド・ミュージック」は20年間休まなかった