学生だった安藤優子さんを見て「ガラスの天井を突き破る子だ!」

── 次の世代へとバトンを繋ごうと思われたのですね。

 

今井さん:自分が実現できないのなら、培ったものを誰かに託して、次につないでいくことが使命だろうと思ったんです。ですから、私のもとに通っていた子たちには、「私の持っているもの、全部持っていって!」といつも伝えていました。アナウンサーとして、立派に育っていった教え子たちはたくさんいましたが、なかでも出藍の誉が、安藤優子ですね。彼女は、日本を代表するような素晴らしいキャスターになりましたね。いまでも仲がいいですよ。

 

── 当時、安藤優子さんは、すでにアナウンサーとして活動されていたのですか?

 

今井さん:出会ったときはまだ学生でした。大手広告代理店が主催した夏休みのイベントに来た学生のひとりだったんです。代理店から「学生たちにアナウンスを教えてほしい」と依頼され、面倒をみることになりました。

 

じつはもともとアナウンサーとしてテレビに出ている私を見て、「自分もアナウンサーの仕事をやりたい」と触発されたらしんですね。ですから、すごくガッツがあったし、やる気に満ちていました。とくに目を引いたのは、見事な語学力です。流暢な英語を話し、度胸もすごくあった。彼女なら今後、世界を股にかけてグローバルに活躍できるんじゃないかと期待しました。ですから、私も覚悟をもって向き合いましたし、彼女もそれに食らいついてきてくれました。私としては、そこまで厳しく教えたつもりはありませんでしたが、彼女いわく「うちに帰って泣いていた」と(笑)。

 

取材で国内外を飛び回る多忙な日々を送っていたころの今井登茂子さん

── 大物キャスターの安藤さんにもそんな時代が…。

 

今井さん:彼女にはよくこう話していました。「能力や環境など、仕切りを作っちゃうのは自分自身ですよ。躊躇しないですべて挑戦してみたら?」と。ガラスの天井を突き破ってほしかったし、きっとできるだろうと思っていたんです。1986年に、彼女がギャラクシー賞個人奨励賞をもらったときには、「心の底から一緒に喜んでくれたのは、ともこ先生でした」と言ってくれました。今でも「先生」と呼んで慕ってくれるのは、お互いに腹を割って本気で向き合っていたからじゃないかなと思います。

夫の口グセに学んだコミュニケーションの本質

── 50歳のときには、コミュニケーションスクール「とも子塾」をたちあげられました。

 

今井さん:“自分の名前を掲げるなんて、なんだか飲み屋みたいでどうだろう”と思ったのですが(笑)。安藤優子ちゃんたちが私の授業を “ともこ塾”と呼んでいたので、それを引き継いだんです。以来、「会話力は人間力」というテーマを軸に、ノウハウをメソッド化し、話し方やマナーだけでない人間教育に力を注ぎ続けています。

 

── たくさんの人を育ててきた今井さんですが、ご自身のコミュニケーションに影響を与えた方はいますか?

 

今井さん:夫ですね。34歳で結婚した夫は9歳年下で、とても思いやりのある素敵な男性でした。彼が私のコミュニケーションを熟成してくれましたね。結婚して最初に彼から学んだのは、「自分のことから話さない」ということでした。

 

── どういうことでしょう?

 

今井さん:彼は、仕事から帰ってきたら、自分の話ではなく、「今日どうだった?」とやさしく聞いてくれるんです。これは衝撃でしたね。妻が夫に質問するケースはよくあるけれど、彼は、まず私の話から聞くんですね。だからいつも嬉しくなってどんどん話しちゃう。彼はコミュニケーションの本質さをわかっていたのでしょうね。

 

PROFILE 今井登茂子さん

1937年、東京生まれ。立教大学文学部卒業。1959年、TBS入社。音楽、情報、報道、スポーツなど、多岐にわたる番組を担当。 初代お天気お姉さんとして人気を集め、視聴率40%を記録。1988年、放送貢献者に贈られる「ゴールデンマイク賞」を受賞。1987年に人材教育「とも子塾」を設立。「会話力は人間力」という明快なテーマを軸に、実践的かつ科学的な理論に裏付けられたメソッドを構築。受講者はのべ3万人を超えている。

 

取材・文/西尾英子 画像提供/今井登茂子