2人の子どもたちとの関係は

海老名香葉子さんと

 

── 気持ちが変わったのはなぜだったのですか? 

 

山本さん:理由は大きく2つありました。ひとつは手続きの問題です。彼の年齢を考えると、いつ具合が悪くなって入院してもおかしくありません。そんな時、籍が入っていないと夫婦として認めてもらえず、入院や手術が必要となった時に、いろいろな手続きができずにもどかしい思いをしてしまう。妻として最後まで彼のケアをしたいという気持ちが強かったですし、その覚悟もしていました。

 

もうひとつの大きな理由は、子ども達の存在でした。生きる張り合いを失って気持ちが荒んでいた彼にとって、何よりの癒しになったのが、私の子どもたちと遊ぶ時間だったようです。まだ小学生だった2人の子どもたちと一緒にはしゃぐ姿は、本当に楽しそうで、私の入る隙なんてないくらい。そんな時間を過ごすうち、本来のエネルギッシュさを取り戻し、どんどん元気になっていきました。

 

彼が言うには、自分の子どもの成長期には、忙しさがピークで、家に帰れないか、帰れても深夜。彼の息子さんも、“うちは母子家庭のようなものだった”と言っていました。
“子育てに関わりたくても叶わなかった”という後悔が、ずっとあったみたいです。

 

── 当時は、働く男性が“子育てのために帰る”とは、言い出しづらい時代でした。

 

山本さん:彼にとって、私の子どもの世話をするのは、やり残したものを取り戻すような感覚もあったのかもしれません。いつしか、「これからの人生、俺はこの子たちのために生きる。こいつらの親になる」と言いだして。思えば、それがプロポーズだったのかなと。

 

結婚後は、「来た仕事はひとつも断るな」と言って意欲的に働き、子どもたちとの時間もとても大切にしていました。彼はよく、「この子たちがいなかったら、結婚という正式なカタチをとっていなかったかもしれない」と言っていましたね。

 

人は、“誰かのために”という強い思いが湧きあがると、スイッチが入るものなのだなと感じます。それは私も同じでした。彼を支えるという、人生の大きな目標ができたことで、再び前を向いて歩きだすことができ、マネジメントという天職にも出会えました。
お互いが必要とするタイミングで出会って、結ばれた。ブンさんとは、そんな縁を感じるんです。

 

PROFILE 山本由美子さん

やまもと・ゆみこ。東京都出身。山本文郎さんと結婚後、テレビ業界にて旅番組やバラエティなど各方面で活躍。ブライダルデザイナー桂由美さんのサポートや飲食業と幅広く活動中。

 

取材・文/西尾英子 写真提供/山本文郎事務所