紆余曲折した芸能生活の中で、自分が輝ける仕事をようやく見つけた杉原杏璃さん。しかし24歳と遅咲きのグラビアデビューの先に待っていたのは、年齢の壁との戦いでした。(全5回中の2回)

「かわいいね」と言われる時期は短い

── 20歳を記念して出版した写真集がきっかけになり、仕事の中心をグラビアに移されました。グラビア界で活躍するなか、2015年にはグラビア界の裏側にも触れた自伝的小説『…and LOVE』を発表されます。

 

杉原さん:グラビアの仕事は基本、映像や写真集が中心です。いわゆる「見せる」ことですね。でもそれだけではなく、自分の仕事を、活字や映画など、別の形で表現したいと思ったのがきっかけです。グラビアの世界について小説を書いている人がほかにいなかったので、やってみたいと思いました。当時、雑誌で小説を連載していたので、それを本にまとめて、同時に映像化の話も進めました。「胸を上げて寄せてニコッとしているだけがグラビアアイドル」と思われるのがイヤで挑戦した感じです。

 

雑誌の撮影現場で
雑誌の撮影現場で

── プロデューサーが年齢で難色を示すシーンは実体験だそうですね。

 

杉原さん:そうです。グラビア界の「あるある」ですね。私が本格的にグラビアデビューしたのは24歳と決して若くない年齢だったので、「その年齢で数字が取れるかな」と言われたことは一度や二度ではありません。あいさつ回りに行くと好意的だったのに、後からマネージャーさんを通して年齢について言われたことも。グラビアの仕事をしていると若いというのは武器なんです。でも、「かわいいね」と言われる時期は短い。だからこそ別の武器をつくって戦わなければということは常に思っていました。

 

杉原杏璃さん
杉原杏璃さん

── グラビアというずっと続けられるかわからない仕事のなかで、不安もあったのではないですか?

 

杉原さん:グラビアの仕事をしているときはいつも、金銭的な面で不安がありました。30歳の頃には、ちょうど周りが結婚して家庭を持つような年齢に差しかかって、自分自身、焦りが出てきて。そのせいではないかと担当医に言われたのですが、パニック障害を患いました。飛行機に乗って椅子に座ると、なぜか意識を失ってしまうようになったんです。「気絶」する感覚です。何度かそんな事態にあったため、海外などの遠方ロケに行けなくなってしまいました。その後は、飛行機を使わなくてもよい近場の撮影に参加するように切り替えましたが、とてもつらい時期でしたね。