自分が必要とされる世界があった

── 仕事の中心がグラビアになって、何か変化はありましたか?

 

杉原さん:仕事がすごく楽しいと思えました。今までやらせていただいた、生放送の出演や演技の仕事は「進行を失敗できない」「周りの演技に合わせなければ…」といったプレッシャーがすごくて。でも、グラビアの現場では撮られているのは基本的に自分だけ。撮影がしやすいようにスタッフの方々が撮影場所や環境などを作ってくれます。現場ではお姫さまのような扱いをしてもらえることもあるし、ハワイやグアム、バリなど海外に行けて、現場をすごく楽しいと思えるようになりました。 

 

とはいえ、最初のころは水着でいろいろなポーズをとるのが、とても恥ずかしかったんですけどね。普通に水着を着て海に行くときにはしないような不自然なポーズばかりなんで(笑)。でも、私の場合、グラビアでもそこまできわどいポーズを求められることはなかったんです。プロっぽくない初々しさを受け入れてもらえていたのも、仕事を楽しめた理由のひとつだったと思います。

 

最初の頃にあった恥ずかしさにもそのうち慣れて、自分が必要とされていることに喜びを感じられました。仕事がないときって、誰にも必要とされていない感じがすごくあって、プレッシャーでつらいんです。前の事務所を辞めた当時は、メンタルの状態があまりよくなかったのかもしれません。

 

広島カープファンの杉原さん
広島カープファンの杉原さん

── グラビアの仕事で苦労したことは?

 

杉原さん:グラビアはDVDや写真集など、ランキングが明確に出る世界です。ランキングが下がれば次の撮影にはもちろん呼んでもらえないし、ファンの方にもそれが伝わってしまう恐怖がありました。ただ、私は応援してくださるみなさんを大切に思っていれば、それがランキングにも繋がると信じていました。そのため当時はファンの方と会えるイベントへの参加はもちろん、ブログも1日に7〜8回アップして、みなさんにメッセージを届けることに。それを続けていたら、ありがたいことにたくさんの方が応援してくださるようになったので、不安はあまりなくなりました。35歳になる2017年を区切りとして、グラビアを一度辞めることにしたんです。

 

── そんな杉原さんにとってグラビアの仕事とは?

 

杉原さん:広島から上京してきたときは、スカウトされたのだからきっと売れるだろうと安易に考えていました。でも上京してしばらくすると仕事も減り、鼻をへしおられたような感覚に。最初の5年はツラくて広島に帰りたい気持ちが強かったです。演技では怒られることばかりで「どうして?」と思うような日々でしたが、それは私に志がなかったから。きちんとした熱い想いがないと、売れるには本当に難しい世界だと痛感しました。

 

でもグラビアに出会って景色は一変。自分が肯定される楽しい世界が待っていて、本当に見つかってよかったと今は思います。

 

杉原杏璃さん
杉原杏璃さん

 

PROFILE 杉原杏璃さん

すぎはら・あんり。1982年、広島県生まれ。グラビアアイドルとして数々の写真集やDVDを発売。自伝的小説『…and LOVE』も話題に。補正下着ブランド「Andijur」をプロデュース。資産運用にもたけており、30歳で資産1億円の、いわゆる「億り人」になる。著書『…and LOVE』(双葉社)、『マンガでよくわかる資産運用1年生 』(かんき出版))を発売。

取材・文/酒井明子 写真提供/杉原杏璃