仕事がない、お金もない。自分が必要とされている実感が当時はわかなかったという杉原杏璃さん。20歳で出会ったある仕事がきっかけとなり、その後の人生が花開きます。(全5回中の1回)
芸能界入りも仕事をなんとなくこなす日々
── まずはデビューのきっかけを教えてください。
杉原さん:高校1年生のときに、地元の広島でスカウトされたのがきっかけです。芸能界に特別な憧れがあったわけではないのですが、スカウトを機に東京の事務所に所属することになりました。「大丈夫かな…」という不安はありましたが、母を交えて事務所の方と食事をして、両親の賛成のもとで活動を始めました。
といってもまだ高校生だったので、最初の頃のお仕事は学校が休みのときに上京して寮に入り、生放送や舞台に出演する程度。東京に引っ越したのは高校卒業後の19歳のときでした。そのときも「絶対に売れてやる」という覚悟があったわけではなく、「上京すればなんとかなるだろう」という軽い気持ちだったと思います。
── 当時はキャリアプランや具体的な目標はあったのでしょうか?
杉原さん:それがまったくなくて。特に「女優になりたい!」などの夢があるわけではなく、事務所がもってきてくれた仕事をなんとなくこなす日々が続きました。演技や歌のレッスンを受けたりはしていましたが、どこか部活の延長のような感覚というか…。そんな感じだったので、仕事が徐々に減っていって、お金がたりず貯金を切り崩しながら暮らすように。上京して3年が経つ頃には貯金が半分になり、生活が苦しくなっていました。
お金がなくなるいっぽうなので、広島に帰るべきか、アルバイトすべきか悩んでいた頃、20歳を記念して写真集を出さないかという話をいただいたんです。それまでグラビアはやったことがなかったのですが、この写真集が話題に。反響が大きく、自分にはグラビアという選択肢もあるのだと知りました。
今振り返ると、この頃が一番つらかったですね。当時所属していた事務所は演技の仕事がメインだったのですが、私は背が低く、声が特徴的だったことで、逆に役が決まりにくくて。このまま演技を続けてもいいのだろうかと迷い、事務所を辞めて少し休むことにしたんです。
そんなときに自分を活かせるグラビアの仕事に出会い、やってみたい気持ちが強くなって。別の事務所に入れば、新たなご縁で仕事がたくさんくるかもしれないという期待もあり、知り合いに紹介してもらった事務所に入ったんです。グラビアアイドルが多く所属していて、そこから本格的にグラビアの仕事をやることになりました。