小学3年生のときに同居を始めた母親のパートナーから身体的虐待・心理的虐待を受け続けた阿部紫桜さん(仮名)。小5から4回一時保護された後、児童心理治療施設で過ごした中学時代の3年間は「唯一穏やかな時間だった」と振り返ります。(全3回中の2回)

小2で東日本大震災によるPTSD発症…中1から心理治療施設へ

阿部紫桜さん
自身の虐待の体験をふまえて情報発信している阿部紫桜さん

── 小学5年から小学6年までに4回、児童虐待から一時保護され、中学3年間は児童心理治療施設で過ごしました。児童心理治療施設へ入所するきっかけは何だったのでしょうか。

 

阿部さん:4回目の一時保護のとき、家庭裁判所で入所の可否を決める審判が行われました。なぜ児童養護施設ではなく、児童心理治療施設だったかというと、東日本大震災のPTSD症状(※)で、心理的なケアが必要だとみなされたからです。小2のときから発症していたようで、小5から一時保護されたなかで認証されました。でも、入所が決まるまで約4か月もかかってしまいました。

(※)心的外傷後ストレス障害(Post Traumatic Stress Disorder)

 

── なぜ、入所が決まるまで時間がかかったのでしょう。

 

阿部さん:母と義父が虐待を認めなかったんです。弁護士を雇って、「私を叩いていない」と否定していました。でも、最終的には施設への入所が決まってホッとしました。

親への恐怖心から「虐待を否定し謝る動画を撮影したことも」

── 児童心理治療施設での3年間はどうだったのでしょうか。

 

阿部さん:自分らしくいられた3年間だったと思います。私が過ごした施設には80名くらいの子どもがいたのですが、児童虐待による被害が深刻で情緒的に不安定な子が多く、私自身、パニックになった友達を落ち着かせるスキルを身につけられたと思います。

 

でも、すごくつらい思いもしました。親と職員さん、どちらの意見を優先すればいいのかわからなくなり、結果的に職員さんたちを裏切ってしまったことも。今でも申し訳ないことをしてしまったと感じています。

 

中学2年のころの阿部紫桜さん
中学2年のころの阿部さん。学校では生徒会書記として活動していた

── どんなことがあったのですか?

 

阿部さん:中2のころ、入所の更新手続きが必要となって一時帰宅したときに、親から「虐待されていない」ことを証明するための動画を撮影させられたんです。親が向けたカメラに、私は「ウソをついてごめんなさい」と謝罪しました。

 

義父は、「虐待をしていない証拠動画を弁護士に提出すれば、俺たちの勝ちや」と言い張っていました。そのときの私は、「義父の言うことを聞かないとまた叩かれる」という恐怖しかなくて、従うしかありませんでした。ちなみに、このときは2回撮らされたんです。1回目は目が泳いでいてあまりに挙動不審に見えて、バレてしまいそうだからと。

 

実は、当時の動画は私の手元で保管していて、昨年、私が出演したドキュメンタリー映画で初めて公開しました。観てくれた大半の方が「謝罪を強制されたことがよくわかる」と理解を示してくださって。つらい体験だったけれど、今は残しておいてよかったと感じています。

 

── 動画を撮影した後はどうしたのですか?

 

阿部さん:施設に戻って、職員さんたちに「親に謝罪の動画を撮影させられた」と打ち明けました。それもあって、家庭裁判所で施設入所を継続することが決まり、中学3年まで児童心理治療施設で過ごすことができたんです。